
「ビジターに燃える選手が出てきてほしい」 元MVP左腕が中日に期待する巻き返しの“条件”
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「ビジターに燃える選手が出てきてほしい」 元MVP左腕が中日に期待する巻き返しの“条件”
巨人戦力外→米挑戦 “内定”は直前で白紙…37歳の無念、2度の自費手術も「遅かった」
元中日、巨人左腕の野口茂樹氏はプロ16年目(2008年)のオフにメジャーリーグに挑戦した。2005年オフにFAで巨人に移籍したが、左肘痛に苦しみ、移籍3年目のその年に戦力外…
巨人へFA移籍も慣れぬ環境 痛み止め多用も“壊れた体”…待っていた大減俸
元中日投手の野口茂樹氏はプロ14年目の2006年、新天地・巨人で巻き返しを狙った。1999年に19勝を挙げ、中日優勝に大貢献したセ・リーグMVP左腕も2004年4勝、200…
波長が合わない落合野球、元MVPが陥った苦境 “謝罪電話”で阪神断り…巨人選んだ理由
2005年オフ、中日・野口茂樹投手はFA権を行使して巨人に移籍した。中日が優勝した1999年には19勝を挙げてセ・リーグMVPに輝くなどエース格として活躍していたが、落合博…
試合中に強制送還の屈辱 コーチに告げられ唖然…戸惑った“MVP左腕の扱い”
中日は2004年、5年ぶりのセ・リーグ優勝を飾った。この年から“3冠、オレ流男”で中日OBでもある落合博満氏が指揮を執り、監督就任1年目で目標を成し遂げた。だが、前回優勝の…
叶わぬ中日エースの願い「駄目だ」 “全盛期”が罠に…始まった「暗黒時代」
流れが悪くなった。元中日エース左腕の野口茂樹氏はプロ10年目の2002年、わずか5登板、2勝1敗、防御率5.00に終わった。前年の2001年は最優秀防御率(2.46)と最多…
失った球速…130キロ台連発でコーチに「真面目に投げろ」 “最終登板”で飛んだ肘
元中日左腕の野口茂樹氏は、現役時代における自身の「キーパーソン」として、恩師の星野仙一氏と、先輩捕手・中村武志の名前を挙げる。星野監督には厳しい指導を受けながらもチャンスを…
日本記録阻止の阪神打線に「それはないぞ」 2度の偉業があと“1”で…中日左腕の嘆き
すさまじい勢いだった。2001年の中日・野口茂樹投手は開幕から連勝街道を突っ走った。3、4月は3勝0敗、防御率1.07、3完投、39奪三振、5月は4勝0敗、防御率1.58、…
投げた瞬間「あっ」 19勝MVP左腕が大一番で味わった屈辱、一生忘れない“魔の1球”
元中日、巨人投手の野口茂樹氏は1999年に19勝を挙げて中日優勝に貢献し、リーグMVPに輝いた。だが、ダイエーに1勝4敗で終わった日本シリーズでは第1戦と第5戦に先発して、…
19勝でも逃したタイトル「きついですよ」 MVP“以外”新人が総なめ…惜しんだ「1」
1999年のセ・リーグは星野仙一監督率いる中日が制した。MVPに輝いたのは19勝7敗、防御率2.65の成績でリーグ優勝に大貢献した野口茂樹氏だ。6月26日の横浜戦(ナゴヤド…
ノーノー翌年に「肩がパキッ」 苦しむ0勝&6.57…ごまかし利かずもまさかの“功名”
“怪物”にも対抗した。元中日、巨人投手の野口茂樹氏はプロ6年目の1998年、2.34で最優秀防御率のタイトルを獲得した。課題だった制球力がアップし、27登板で初の2桁、14…
巨人主砲への死球で苦情殺到「外に出るのも危ない」 あらぬ“故意”疑惑に苦悩
元中日投手の野口茂樹氏にとって、プロ4年目の1996年8月は良いことと悪いことが重なった時期だった。8・11巨人戦(東京ドーム)でノーヒットノーランの偉業を達成して大ヒーロ…
大渋滞で開始直前に到着、6四球でボロボロ 「そんな雰囲気じゃなかった」も…“初勝利”で偉業達成
元中日左腕の野口茂樹氏はプロ4年目の1996年8月11日の巨人戦(東京ドーム)で史上64人目のノーヒットノーランを達成した。6四球を出しながらの偉業。これがプロ初完封でもあ…
中日指揮官が「立っとけ!」 ベンチ横で直立不動…コーチから告げられた丸刈り指令
1996年シーズンから闘将・星野仙一氏が中日監督に復帰した。元中日左腕の野口茂樹氏は当時、プロ4年目。1987年から1991年までの星野第1期政権時には在籍していなかったた…
米武者修行も緊急帰国…即プロ初先発で打球直撃 消えた「シンデレラストーリー」
元中日左腕の野口茂樹氏はプロ2年目の1994年8月25日の広島戦(ナゴヤ球場)に先発し、1軍デビューを果たした。その年の沖縄春季キャンプ後にコロラド・ロッキーズ傘下1Aに野…
中日左腕が呼び出された監督室「何事かと」 2年目で体感した“別世界“「思ってもない」
米国で飛躍した。かつてのセ・リーグMVP左腕の野口茂樹氏(元中日、巨人)はプロ2年目(1994年)にコロラド・ロッキーズ傘下1Aに留学した。先発ローテーション入りして、1A…
誰にも言えない左肘の痛み…体重オーバーの1年目 18歳が戦った“地獄の日々”
試練だった。元中日左腕・野口茂樹氏のプロ1年目(1993年)は左肘痛との闘いからスタートした。愛媛・丹原高3年(1992年)春に痛めて以来、まだ万全ではない状態。にもかかわ…
渋々書いた色紙、新聞に載って生じた“誤解”…嫌だった異名「四国のドクターK」
愛媛・丹原高の左腕・野口茂樹投手は1992年のドラフト会議で中日から3位指名を受けて、プロ入りした。3年春に左肘を痛めてから、本来の投球ができていなかった中での指名には「う…
注射、痛み止めも…「ボロボロだった」 告白できず悪化、野口茂樹氏の“最後の夏”
元中日エースの野口茂樹氏は1992年、愛媛・丹原高3年の春の愛媛大会で強烈投球を見せつけた。3-0で完封した準決勝の八幡浜戦では9人連続を含む19奪三振をマーク。決勝の新居…
まさかの選抜絶望「負ける発想がなかった」 修学旅行も行けず…鼻がへし折られた“大誤算”
元中日、巨人投手の野口茂樹氏は1990年、愛媛県立丹原高に進学した。1回戦で敗退したが、1年夏の愛媛大会では先発を任された期待の左腕。1年秋からエースとなって年々、力をつけ…
名門の誘いは“聞かず”無名校へ「自分が抑えれば甲子園行ける」 野口茂樹氏が選んだ近所進学
1999年にセ・リーグMVPに輝くなど中日のエースとして活躍したのが野口茂樹氏だ。ノーヒットノーラン(1996年)、最優秀防御率(1998年、2001年)、最多奪三振(20…
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