“遅かった”佐藤輝明の覚醒 通算215HR男が口にしていた課題…「意外とできてない」
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“遅かった”佐藤輝明の覚醒 通算215HR男が口にしていた課題…「意外とできてない」
ホテル呼び出し→有無を言わさぬ“引退勧告” 泥酔し号泣「ああ、俺、辞めるんだ」
近鉄の伝説の4番打者・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)はプロ16年目の38歳、1989年シーズン限りで現役を引退した。自分から申し出たわけではない。3連勝4…
阪神からトレード打診も「じゃあ辞める」 幻に終わった移籍…近鉄主砲の“後悔”
元猛牛戦士の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は近鉄一筋のプロ野球選手生活を送ったが、他球団への移籍の可能性が全くなかったわけではない。1988年シーズンから…
「お前がやれぇ!」指揮官にブチギレ絶叫 “一言”にカチン…悟ったレギュラー剥奪
豪打で野球ファンを沸かせた元近鉄の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)にとって痛恨だったのがプロ14年目、1987年4月16日の日本ハム戦(後楽園)での負傷だ。…
2番へ変更打診も「何が最強だ」 拒み続けた主砲…苦渋の承諾で狂った“歯車”
元近鉄外野手の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)はプロ12年目の1985年5月21日の南海戦(大阪)で史上37人目のサイクル安打を達成した。安打、二塁打、本塁…
「え、そんなこと言う?」 落合博満の“口撃”に唖然…逃した首位打者、3冠王に白旗
そんなこと言う? 元近鉄の和製ヘラクレス・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は、プロ9年目の1982年にパ・リーグ3位の打率.311をマークした。この年はロッ…
監督からついに“乱闘指令”「行けよ」 頭部に5回も…通算96死球に隠された流儀
「別にいいじゃないかと思ったんだけど……」。元近鉄のパワフル4番打者の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は、現役時代に通算96死球を受けた。「デッドボールは当…
開幕4番も即負傷「もう駄目だ」 グラウンドで絶望…ファンからは屈辱の応援歌
元近鉄主砲の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は、プロ8年目の1981年シーズンについて「ちょっと悔いが残ったよね」とつぶやいた。開幕から4番を任されたが、1…
指揮官に「てめぇ、この野郎!」 ファン丸見えの“大喧嘩”…3回目でプツン→ブチギレ
試合中のベンチ前で指揮官と大喧嘩した。元近鉄4番打者の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)にとって、現役時代の近鉄監督でもあった西本幸雄氏は恩師の一人だ。「この…
監督の“左右病”に絶望「絶対無理だもん」 結果出しても…もう1つの闘い「結構損した」
元近鉄外野手の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)はプロ5年目(1978年)に初めて規定打席に到達して、20本塁打を放った。いよいよ、伝説の強打者が本領を発揮し…
ドラ1指名も「落ちこんだ」 想定外の結末に愕然…拒否した挨拶「泣きそうだった」
筋骨隆々の“和製ヘラクレス”の異名でも知られた栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は1973年ドラフト会議で近鉄に1位指名された。駒沢大では1年(1970年)か…
監督に“無視”された自らの意思 幻に終わった進路…初日に絶望「とんでもない所に」
夜、聞こえてきた声に……。元近鉄外野手で4番打者として君臨した栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は1970年に帝京商工(現・帝京大高)から駒沢大に進学した。外…
“奇策”が生んだ悲劇 あっけなく終わった高校最後の夏…無人の外野に弾んだ白球
元近鉄のレジェンドスラッガー・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は帝京商工(現・帝京大高)時代、外野手兼投手として活躍した。1969年の高校3年夏の東京大会で…
阪神から移籍直後に「僕は終わった」 突然の“異変”…全てが狂い、戦力外に「だろうな」
2000年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した湯舟敏郎氏(野球評論家)は、新天地では1シーズンだけで現役を引退した。梨田昌孝監督率いる近鉄がパ・リーグを制覇した2001年に…
オリックスOBの集まりに「誰も行かないですよ」 消えない猛牛魂…近鉄戦士の“意地”
元近鉄の4番打者でもある羽田耕一氏は、現役引退後も球団に残り、1990年シーズンから2軍打撃コーチを務めた。1996年から1999年までは佐々木恭介監督、伊勢孝夫ヘッドコー…
監督から「ホテルで会おうか」 提示された3択…“消えた”現役も、未練なく選んだ第2の道
近鉄の主力打者だった羽田耕一氏は1989年限りで背番号3のユニホームを脱いだ。そのラストイヤーに近鉄はパ・リーグ優勝。現役最後の打席は、巨人との日本シリーズ第7戦(10月2…
試合前に激痛「グチャって音がした」 負傷も治療せず…今も治らぬ古傷が秘めた“誇り”
ついに体が……。元近鉄内野手の羽田耕一氏は現役晩年、両膝痛に苦しんだ。「(1986年のプロ)15年目からはもう……」とむなしそうに話す。「オープン戦でやってしまったんです。…
無理で壊れた体…言えなかった「痛い」の2文字 引退後の後悔「やめた方がよかった」
元近鉄内野手の羽田耕一氏は1972年から1989年まで18年間、現役でプレーした。プロ11年目(1982年)と12年目(1983年)には2年連続でオールスターゲームにファン…
報道陣に晒された“珍練習”「もう恥ずかしかった」 大打者がやけ酒…忘れぬ苦い記憶
現役時代、近鉄一筋でプレーした羽田耕一氏はプロ9年目の1980年にキャリアハイの30本塁打を放った。特に9月、10月の終盤2か月は13本塁打と絶好調でチームを後期優勝に導き…
痛恨の“サインミス”…監督からベンチで「知らんぷり」 一発でV貢献も、忘れられぬ光景
西本幸雄監督率いる近鉄は1979年、球団初のパ・リーグ制覇を成し遂げた。前後期制の前期に優勝し、後期優勝の阪急とのプレーオフを制した。羽田耕一氏はその時のV戦士のひとり。セ…
監督から「パンツ一丁になれ」 プロが新聞紙で打撃練習…まさかの指令で夜間特訓
山あり、谷あり――。元近鉄内野手で通算225本塁打の羽田耕一氏はプロ5年目の1976年、6本塁打に終わった。プロ2年目(1973年)に三塁レギュラーの座をつかんで12本。3…
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