阪神から移籍直後に「僕は終わった」 突然の“異変”…全てが狂い、戦力外に「だろうな」
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阪神から移籍直後に「僕は終わった」 突然の“異変”…全てが狂い、戦力外に「だろうな」
オリックスOBの集まりに「誰も行かないですよ」 消えない猛牛魂…近鉄戦士の“意地”
元近鉄の4番打者でもある羽田耕一氏は、現役引退後も球団に残り、1990年シーズンから2軍打撃コーチを務めた。1996年から1999年までは佐々木恭介監督、伊勢孝夫ヘッドコー…
監督から「ホテルで会おうか」 提示された3択…“消えた”現役も、未練なく選んだ第2の道
近鉄の主力打者だった羽田耕一氏は1989年限りで背番号3のユニホームを脱いだ。そのラストイヤーに近鉄はパ・リーグ優勝。現役最後の打席は、巨人との日本シリーズ第7戦(10月2…
試合前に激痛「グチャって音がした」 負傷も治療せず…今も治らぬ古傷が秘めた“誇り”
ついに体が……。元近鉄内野手の羽田耕一氏は現役晩年、両膝痛に苦しんだ。「(1986年のプロ)15年目からはもう……」とむなしそうに話す。「オープン戦でやってしまったんです。…
無理で壊れた体…言えなかった「痛い」の2文字 引退後の後悔「やめた方がよかった」
元近鉄内野手の羽田耕一氏は1972年から1989年まで18年間、現役でプレーした。プロ11年目(1982年)と12年目(1983年)には2年連続でオールスターゲームにファン…
報道陣に晒された“珍練習”「もう恥ずかしかった」 大打者がやけ酒…忘れぬ苦い記憶
現役時代、近鉄一筋でプレーした羽田耕一氏はプロ9年目の1980年にキャリアハイの30本塁打を放った。特に9月、10月の終盤2か月は13本塁打と絶好調でチームを後期優勝に導き…
痛恨の“サインミス”…監督からベンチで「知らんぷり」 一発でV貢献も、忘れられぬ光景
西本幸雄監督率いる近鉄は1979年、球団初のパ・リーグ制覇を成し遂げた。前後期制の前期に優勝し、後期優勝の阪急とのプレーオフを制した。羽田耕一氏はその時のV戦士のひとり。セ…
監督から「パンツ一丁になれ」 プロが新聞紙で打撃練習…まさかの指令で夜間特訓
山あり、谷あり――。元近鉄内野手で通算225本塁打の羽田耕一氏はプロ5年目の1976年、6本塁打に終わった。プロ2年目(1973年)に三塁レギュラーの座をつかんで12本。3…
大記録目前も…先輩からの“圧力”で困惑「やっぱり駄目」 悔やんだ結末、届かなかったフルスイング
元近鉄内野手の羽田耕一氏は高卒3年目の1974年、監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たした。4月29日の阪急戦(西宮)から5月1日の太平洋戦(平和台)の2試合にまたがっ…
タイトル争いの裏にあった“駆け引き” 専門家も経験…忘れぬ名将の打診「球種を言いなさい」
ナ・リーグ本塁打王争いは9日(日本時間10日現在)、フィリーズのカイル・シュワバー外野手が50本塁打を放ち、48発のドジャース・大谷翔平投手に2本差をつけトップ。両チームと…
名将が激怒し平手打ち「シーンとなった」 選手に求めた“意識”「180度変わりました」
元近鉄戦士の羽田耕一氏にとって最大の恩師は、プロ3年目の1974年シーズンから監督になった西本幸雄氏だ。1973年まで阪急を指揮していた名将が今度は近鉄強化に動き出したが、…
新人の“自己満足”で先輩が大目玉 春季キャンプで折られた鼻…後の1億円選手が忘れぬ恩
近鉄などでセットアッパーとして活躍した佐野慈紀氏は、松山商高卒業後、近大工学部へ進学した。先輩や指導者が怖く、目立たぬように取り組んでいたが、甲子園の決勝戦に出場できなかっ…
プロ引退→アルバイトから始めた“第2の人生” 目指した寿司屋、元近鉄右腕の異色の転身
近鉄で9年間プレーし、米独立、イタリアと渡り歩いた品田操士氏だが、引退後は野球界から一線を引いた。「イタリアの球団を退団する時に、野球そのものをやめよう、もうやり切った、と…
戦力外→海外移籍で再発見「やっぱり日本が一番いい」 気づかなかった“和の心”
元近鉄の品田操士氏は2002年、外国人枠が限られているイタリアでシーズン最後までプレーした。イタリアは人気の観光地が多く、食事も日本人好みと言われるが、「日本人のオレたちが…
代表選出のために「イタリア人と結婚すれば」 思いもよらぬ提案…異国で衝撃的な“オファー”
元近鉄の品田操士氏は2001年、米独立リーグで2桁勝利を記録するなど活躍し、翌年も現役続行を希望した。新天地はイタリアに決定。「台湾とかアメリカの独立リーグとか、いくつか話…
戦力外→テロ遭遇の緊急事態「映画の撮影かと」 残された選択肢、米国での壮絶体験
2000年オフに近鉄から戦力外通告を受けた品田操士氏は2001年春、米国でカブスのキャンプに参加することになった。同キャンプには、かつてのチームメートだった佐野慈紀氏や谷口…
初登板で15失点「全然抑えられねぇ」 想定外の指令…18歳で受けた“プロの洗礼”
近鉄から米国、イタリアと渡り歩いた品田操士氏は埼玉・花咲徳栄高時代から豪快な性格だった。1991年にドラフト3位で近鉄に入団。ただ、プロに入ると他の選手と同じく、レベルの高…
阪神からパ移籍も「野球どころじゃない」 まさかの消滅危機に…今も続く“儀式”を発案
2003年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した横手投げ右腕の川尻哲郎氏だが、そこで待っていたのは近鉄とオリックスの合併だった。2004年のシーズン中に事態が表面化。セ・リー…
滑り止めで入学「オレ、失敗したな」 かかと踏んでドブ掃除…厳しかった“後の名門”
NPB、米独立、イタリアの3か国でプレーした品田操士(しなだ・あやひと)氏は、埼玉・花咲徳栄高からドラフト3位で近鉄入りした。今でこそ野球の名門校だが、当時はまだ甲子園未出…
ヤクルトに「アホか、誰が行くか!」 新聞で知ったトレード…頭に来た球団取締役の一言
近鉄球団に大激怒した。伊勢孝夫氏(野球評論家)はプロ14年目の1976年オフ、益川満育内野手との交換トレードで近鉄からヤクルトに移籍した。「出されるとは思ってもいなかった」…
主砲の故障で…恥ずかしかった珍代走 癪に触った敵捕手の“皮肉”「腹が立った」
野球評論家の伊勢孝夫氏は、近鉄での現役時代にホームラン代走&決勝弾を記録した。プロ7年目の1969年5月18日の阪急戦(西宮)での出来事だ。助っ人のジムタイル(ジム・ジェン…
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