渡米した同期から届いた1通のメール ロッテ益田を突き動かす思いとは

高校最後の夏は県大会準決勝での代打が唯一の打席、一時は消防士の夢を描くも…

 1年目にシーズンの半分となる72試合に登板し、プロ野球の新人最多登板記録を樹立。新人最多ホールドポイントとなる43HPも挙げ、新人王に輝いた。翌13年はセーブ王。しかし、14年は防御率4.94。翌15年は防御率3.91とセットアッパーとしては満足できない数字が残った。

 そんな中、嫌でも周囲の声、評価は聞こえてくる。そのたびに生来の負けず嫌いの性格が熱く燃えた。「絶対に見返す」。強い気持ちを胸にシーズン前から体を鍛え上げ、自信を持って挑んだシーズンだった。

「体の部分もそうですけど、生活も食べ物もすべて野球中心にここまでやってきた。やれることはやったという自信が今シーズンの始まる前からありました。手応えを感じてシーズンに入れました」

 野球エリートではない境遇から新人王まで輝いたその負けん気が5年目のシーズンで存分に発揮され、マリーンズの開幕ダッシュを支えた。思えば、中学時代は投手と外野手の掛け持ち。高校に入学をすると肘を痛め、遊撃手に転向した。高校3年最後の夏の県大会ではベンチ入りはしたものの、出場する機会はなかなか巡ってこなかった。チームが敗れた準決勝で代打として起用され、遊飛。高校野球での実績十分の野球エリートが集まるプロ野球の世界の中にあって、それが益田の最後の夏の唯一の打席だった。

 このまま野球を辞め、消防士を目指すという選択肢を考えていた中で、関西国際大学でもう一度、投手として野球を続ける選択をした。母子家庭で育ち、経済的にも決して楽ではなかったが、奨学金制度を利用しながら、一時的にはアルバイトをしながら学校に通い、野球を続けスカウトの目に留まった。そして11年ドラフトでマリーンズ最後の指名となる4位で、藤岡貴裕投手、中後悠平投手、鈴木大地内野手という大学球界屈指の選手たちと一緒にプロの門を叩いた。

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