「マシンガン打線」の生みの親が社会人野球で再出発 43年目のユニフォームに込める思い
若者の特権は、いくらでもやり直しできること
言うまでもなく、プロの世界で生き残っていくのは極めて過酷。結果を残せれば高い年俸を手にし、生活も保障されるが、出番をつかめなければすぐに契約を打ち切られてしまう。一方、JR東日本のような大きな企業に勤めていれば、たとえ野球で成績を残せなくとも、安定した生活を送ることは可能だ。
「自分が市役所を辞めてプロに進んだことも、振り返れば、とんでもない方向転換だったと思うんです。当時は周囲の反対も多かった。『お前、プロに行くなよ』という感じだった。私自身、安定を求めていたら市役所に定年まで勤めていたと思いますよ」
だが高木の場合は、父親の一言が決め手となったという。
「若者の特権はいくらでもやり直しできることだ」
その言葉に背中を押され、高木は安定した生活を捨て、明日をも知れない弱肉強食の世界に飛び込んでいった。
「当時はテスト生でダメだったときのことは何一つ考えていませんでしたね。当然、受からなくても、役所には戻れない。でも、先のことを考えたら挑戦できないですからね」
そう語る高木は何度も挫折の危機を乗り越えながら、懸命にプロの世界にしがみ付き、徐々に出番を勝ち取っていった。結果、1987年のシーズン途中に引退するまで16年間も現役を続けることができた。
その経験があるからこそ、プロに憧れる社会人の選手たちに「プロに行ってみろ」とは軽々しく口にできない。
「難しいところですよ。ドラフト3位以下だったら、プロに行くのはどうなのかなとも思いますね。行くべきなのか、どうなのか……」