今もマイナー落ちへの危機感を持ち続ける男 田澤純一が米国で這い上がるために身につけた流儀
抱えていた戸惑いの気持ちが薄れていった瞬間
「自分はアメリカの野球をするために、ここにやってきたんだ」
そう気が付いた途端、抱えていた戸惑いの気持ちが薄れていった。
「僕はここに日本の野球をしにきたわけじゃない。メジャーのよさを少しでも多く取り入れてプレーできるようになりたかったんです。本当は、日本でプロを経験してから、メジャーで投げるのがいいかもしれない。でも、僕はそういう道を選ばずに、マイナーで積み上げることにしたわけですから」
当初、レッドソックスは2年ほどマイナーを経験させてから、メジャーの戦力として見込む予定だった。だが、2010年に、いわゆる、トミー・ジョン手術と呼ばれる右肘靱帯再建手術を受けたことで、予定がずれた。それでも、球団は決して復帰を焦らせることなく、じっくりと機が熟すのを待った。
リハビリを終え、3A所属となった田澤は、メジャーで故障者が出るなど不測の事態が発生した場合は、メジャー昇格し、戦力が整えば再びマイナーに戻る生活を繰り返した。
時には、「契約」という太刀打ちできない壁に阻まれ、成績のよくない選手がメジャーに残る一方で、成績のいい田澤がマイナー行きを命ぜられたこともある。そんな経験を繰り返しながら、メジャー25人枠に入るチャンスの少なさと、メジャーに定着することの難しさを学んでいった。
だからこそ、開幕メジャーを勝ち取った昨シーズン以降も「いつマイナーに落とされるか分からない」という気持ちだけは持ち続けることにした。弱肉強食の実力社会だ。メジャーがピラミッドの頂点だとすれば、その下には「隙あらば上まで上り詰めよう」と虎視眈々とチャンスを狙う若手がひしめく。一瞬の隙を見せたら、あっという間に頂点から引きずり下ろされる。