岩村明憲、引退会見で語った愛媛愛、東北愛 一問一答「今後も何苦楚魂で」
地元・愛媛、震災を経験した東北への思い、プロとして誇れるもの
――震災を経験したり、楽天をはじめ東北でプレーしたことが、野球人としても人間としてもキーポイントになった部分はあるか?
「あります。特に楽天に入った2年間というのは、非常に自分でも苦しくてですね、言葉では正直言い表せないくらいだったんですけど、あの2年間があったから今があると、僕は正直思っています。もちろん、いろんなことを言われましたけど、それも自分に対する期待の部分ということで僕は受け取って、今後の野球人生に励みにさせていただきました。なので、楽天イーグルスでの、たった2年間かもしれないですけど、非常に内容のある、野球人生の中では重みのある2年間になりました」
――現役生活を振り返って、誇れる部分は?
「僕自身、プロとしてという自覚の部分で、さっきの母親が亡くなった日の試合に残ったという部分は誇れるのかな、と。ただ正直悔いは残っています。今後そういう場面に遭う選手もいるかもしれない。その時に掛けられるアドバイスがあるとすれば、僕自身、当時の若松(勉)監督から『いいから、すぐ帰れ』という言葉をかけていただいたんですけど、やっぱり自分の中で『目の前の試合を…』ということしか言えなくてですね、試合に残していただいた。
(同じ状況の選手に)今敢えてかけられる言葉は、悔いが残らないようにしてほしいなという部分ではあります。(自分の場合)どちらが正しかったのか分からないんですけど、本当に試合に残って試合に出たことで、ホームラン2本が出たんじゃないかと。また、それは本当に自分自身ではなくて、周りから見ていた、天国から見ていた母親が打たせてくれたんじゃないかなと感じておりますんで、プロとしての部分では誇れます。
ただ自分が欠かさなかったのは、一塁までの全力疾走というのは、打ったら走るということは、常々言われていまして。自分の人生を大きく成長させていただいた方々っていうのはいっぱいいるんですけど、その中でも高校時代の上甲正典監督から教えていただいた、打ったら走る、という野球の基本中の基本をやり通せたっていうのはあります。今シーズンも、まだまだ打席に立って凡打しても一塁への全力疾走っていうのは欠かさないようにしたいと思います」
――お父さんとお兄さんには、具体的にどうに引退を伝えたのか? 地元・愛媛で応援する方々にメッセージを。
「まず父親と兄はですね、『そろそろ今年でけじめを付けようかなと思っている』ということを伝えさせていただきました。父親からは『お前の野球人生だから』ということを言われたのと、兄は2年間ですけど、同じプロ野球にいた人間なので『これからが大変だから、これからを頑張りなさい』というメッセージをもらいました。
あらためて、今、球団代表も兼務させてもらっていますので、営業に回ったり、という部分もあります。そういうことを一から社会人として勉強しながら、第2の人生、後継者を育っていくということも力を入れていきたいと思います。
本当にいい時も悪い時も、温かく愛媛県民の方には迎えていただきました。本当に長い間、岩村明憲を応援していただき、本当にありがとうございます。ただこれからも愛媛県の子供たちのために自分ができることは微力ではありますけど、120パーセント力を注いでいきたいなと。野球王国・愛媛が生んだメジャーリーガーがですね、必ず愛媛県の子供たちには恩返しをしたいなと思っていますので、引き続きそういう活動をさせていただきます。これからもいろんなところで顔を合わせることがあると思いますけど、気軽にお声掛け下さい。ということが、自分の愛媛県民のみなさんに対するメッセージとさせて下さい」
――「何苦礎魂」の言葉の意味をどのように捉えているか?
「この言葉との出会いは、僕の師匠でもあります中西太さんからいただいた『何苦礎』という言葉から始まった言葉なんですけど、『何事にも苦しむことが礎となる』というところで、もちろん多くの喜び、美味しいお酒を味わってきましたけど、その中でも苦汁をなめたシーズンがありましたし、大きな怪我もしてきました。そのことすべてが僕は礎となった、今後の第2の人生も『何苦礎魂』で進んでいきたいと思っています」
【了】
フルカウント編集部●文 text by Full-Count