元仙台育英・佐々木氏が学法石川の監督に就任 「福島の歴史を変えられたら」

コーチになる上田監督は「佐々木監督を呼んで、私も勉強したいと思いました」

 同じ高校野球の指導者として、選手が楽しそうに野球をやる仙台育英のチーム作りにも興味があった。「甲子園などをテレビで見ていて、楽しそうというか、自由というか、生徒が(いい意味で)勝手にグラウンドで野球をやっているのが見て分かりました。そういう野球を目指していたけど、そういう風に持って行くための経験もないし、話術もない。佐々木監督を呼んで、私も勉強したいと思いました」と上田監督。理想はあれど、手立てを見つけられずにいた。

 夏にオファーを受けた佐々木新監督は「仙台育英を辞めてから、しばらくは、と思っていた」という。心境の変化をこう話す。

「誠心誠意、誘っていただいたということがありました。非常にありがたい話だなと思いつつ、いろいろと調べていくと、学法石川が初めて甲子園に行った時が、僕が選手の時なんですね(東北高2年夏)。そういうご縁も感じた。また、今のスタッフから話が出たというのが僕は一番、嬉しかったところだったかもしれないですね。そういったところから決断して、やっていこうという風に決めたのは夏が終わったあたりです」

 冒頭の挨拶でも佐々木新監督はこのことに触れている。

「今まで監督だった方もコーチになったり、いろんなこと大変かなと頭の中で思ったのですが、上田監督から僕の名前を出していただいて、勉強して一緒にやってみたいということが最初だったと聞いております。その声を聞けば、僕の方も安心したというか、スタッフのみんなと一緒にやっていけるんじゃないかなと思った。今も一緒にやっていこうという話もさせていただきました」

 佐々木新監督にとっては、まさにゼロからのスタート。チームの現状に飛び込むこと形になる。仙台育英の監督時代に目指していたのは、選手も保護者もスタッフも、みんなが喜びを分かち合えるチームだった。15年夏の準優勝後、当時の選手、保護者にこんなことを話している。

「ここの野球部には『優勝しろ』とか、『勝て』とか、そんな目標はないというのも、そっちの方が難しいんだよ、ということです。甲子園で優勝するのは、実は簡単なのかもしれない。僕は、本当に今でも思っています。でも、みんなが1つになるなんてことは、永遠のテーマだと思っているので、だったら、難しい方に挑戦しようと、今の目標を立てています。みんなで苦労したこの3年間を経て、これからも挑戦し続けてもらいたいなと思います」

仙台育英時代はチームの崩壊を経験

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