中日、阪急で活躍した古川清蔵氏が死去 96歳、本塁打王2度獲得の強打者

戦後最初のプロ野球、東西対抗戦にフル出場

 戦後最初のプロ野球の試合である、1945年10月23日の日本職業野球連盟復興記念東西対抗戦には、東軍の「1番・中堅」で4試合にフル出場した。

 翌年からプロ野球は再開したが、古川は名古屋軍から改称した中部日本に復帰し、外野手として活躍。翌1947年、チームは中日ドラゴンズとなるが、このオフに赤嶺昌志代表と球団経営陣の間で内紛が起こり、古川は11人のチームメイトともに退団(赤嶺旋風)し、阪急ブレーブスに入団した。

 阪急に入団してからも古川は衰えを知らず、12年にわたって外野手としてプレーし、このうち8年で規定打席に到達している。またタイトルこそ取らなかったが、1950年の56盗塁をはじめ30盗塁以上を5回記録している。

 1953年8月30日、西宮球場での南海とのダブルヘッダー2試合目は、延長18回という長い試合になったが、「5番・中堅」で先発した古川は9打数7安打を記録。延長戦のため参考記録となったが、1試合7安打は1949年11月19日の大陽戦の大下弘と古川の2人しか記録していない。

 1959年、37歳で引退した。通算成績は1698試合5715打数1419安打97本塁打617打点370盗塁、打率.248だった。

引退後は競馬評論家に転向

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