「8時半の男」の孫・宮田孝将氏が四国IL高知のアカデミーC就任 波乱万丈の人生
祖父の宮田征典氏は巨人の救援投手として活躍「8時半の男」と称された
――宮田コーチにとって祖父・宮田征典氏はどんな存在だったのか?
「小さい頃はジャイアンツの2軍球場で、斎藤雅樹投手、宮本和知投手らにお目にかかった記憶があります。小学校4年生の時には、ベンチに入れてもらって清原和博選手や入来祐作投手らと一緒に写真を撮りました。中学3年の時には、横浜ベイスターズの2軍の湘南シークレックスにいた工藤公康投手と一緒に練習したこともあります。小学校の頃は“有名人の孫” というのはいいことだな、と思っていましたが。中学で野球を始めたら、“あの宮田の孫”と言う目で見られるようになりました。野球を始めたての頃はうまくなかったので、いやだなと思いました。でも、高校に入ってからは注目されて、話題になるのはいいことだと思いました」
――今年から高知ファイティングドッグスの指導者になった
「チームには吉田豊彦監督、定岡智秋コーチ、勝呂壽統コーチと3人の指導者がおられます。アカデミーは僕一人です。投手も野手も指導します。外野手出身なので、僕も勉強中です。アカデミー生は独立リーグの公式戦には出場できませんが、野球がうまくなりたいと入団しています」
――指導者としての考え方は?
「今まで常識とされていたことにとらわれないようにしています。また指導するうえでは、“なぜそういう風に教えるようになったのか”を理解して教えようと思っています。まだ25歳で、僕自身体が動くので、とにかく自分を実験台にして、感覚などを伝えていきたいですね。率直に言って、アカデミー生のレベルは高いとは言えない。でも、その中から何人かでも独立リーガーになってくれればと思います」
――宮田征典氏は、引退後は名投手コーチとして巨人、日本ハム、西武、中日などで指導。祖父のような“名伯楽”になれるだろうか?
「教えたことが試合で発揮できないとだめですよね。指導しすぎると自分で解決できなくなるので、これは言ったほうがいい、これは言わないで考えさせた方がいい、という判断をしています。そのためにも選手にヒアリングをしています。選手自身が答えに近づいていけるように、サポートしなければなりません。選手を作るというより、選手の『もと』を作ることに重きを置きたいですね。一人でも多くアカデミー生を独立リーグに上げて、その中からNPBに入れる選手を作っていきたいと考えています」
(広尾晃 / Koh Hiroo)