パ・リーグの両チーム合計最多得点は? 今も破られない70年前の記録が凄い

大量得点を生んだ2つの要因とは

 井上さんはこの試合を含めた1950年の得点増加について、主に2つのポイントを挙げてくれた。まず1つ目は1948年終盤から導入された「飛びやすいボール」の存在が、パ・リーグ発足の前年である1949年の本塁打激増にも影響しているのではないかという点だ。

「1つが『ラビットボール』と呼ばれるボール。ボール自動製造機によって作られたボールで、それがよく飛んだようです。このほかに、大阪で製造された『タイガーボール』と呼ばれるボールもあったという記事も見られます。ラビットボールは主にセ・リーグで使われていて、タイガーボールは主にパ・リーグで使われていたという記述が残っています」

 歴代の本塁打王について振り返ってみると、1948年の本塁打王である川上哲治氏(巨人)が25本である一方で、翌年の本塁打王である藤村富美男氏(阪神)が48本と約2倍の成績を残している。そして、1950年のパ・リーグ初代本塁打王である別当薫氏(毎日)も43本塁打を放っている。こうした長打の増加は、そのまま得点の増加につながることは言うまでもない。

学校のグラウンドでプロ野球の試合!?

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