最速156キロにダル級SNS発信力? ドラ1候補の苫小牧駒大・伊藤大海を徹底解剖
駒大を1年秋で退学し、苫小牧駒大へと入学し直す異色の経歴
◯人間性
信じた道を突き進み、妥協を許さない。駒大を1年秋で退学すると、将来のプロ入りのため肉体改造に着手した。当時85キロあった体重を計画的に10か月かけて10キロ落とし、そこからトレーニングで6キロ増量。理想の体を作り上げ、フォームも一から見直した。
翌春入学した苫小牧駒大では規定により1年間公式戦に出場できなかったが、その期間も打撃投手を務めながら打者の反応を見て、変化球を磨くなど時間を無駄にしなかった。
自身の持ち味について伊藤は「気持ちの部分で相手に引けを取らないところ。スピードや変化球が注目される部分だと思いますが、それ以上に自分が大事にしてきた野球に取り組む姿勢をこれからも大事にしたいと思っています」と語っている。
気持ちの強さは大きなセールスポイントだ。「元々負けず嫌い」という性格に加え、自ら苦労を買った経験が生きているのだろう。テレビカメラやスカウトが大挙するほど燃える。「そういうことを楽しめるタイプなので、それは自分の強みでもあると思っています」と大舞台で力を発揮できる精神力を持っている。
気迫を前面に出した投球スタイルは、駒大苫小牧の先輩にあたる田中将大投手(ヤンキース)に重なる。実は伊藤が高校2年春の甲子園出場時に付けていた背番号は、田中が高校時代最初に付けた「15」。“マー君2世”と期待されていた。「(当時の)茶木(圭介)部長から『気持ちの強い選手だった』と聞いていました。駒苫のエースとして、気持ちの部分では負けてはいけないと思ってプレーしていました」と偉大な大先輩の背中を追いかけて過ごした高校生活だった。
もう1人、伊藤が影響を受けたプロ野球選手がいる。同じ鹿部町出身で、脳腫瘍を乗り越えたカムバック賞を受賞した故・盛田幸妃氏だ。小学生の時、地元で開催された野球教室に参加した。「体が大きいという印象でした。その頃からプロになりたいと思っていたのですが、身近にプロがいたことで、(プロの世界が)遠いという感覚にはならなかったです。田中さんもそうですが、節目、節目でプロへの気持ちを感じ取れる機会があって、心の支えになりましたし、刺激をもらいました。そういう巡り合わせが良かったと思います」と伊藤は振り返る。