戦友奪った震災から10年「“まだ”でも“もう”でもない」 由規が寄せた2600文字【#あれから私は】
分岐点となった故障からも10年「重ね合わせてはいけない」
震災から10年。故障してからも10年。そこを聞かれることも多いですが、重ね合わせて発信するというのは、いけないという思いがあります。でも、野球人として現役を続けていられているのは、普通で考えたらあり得ない。野球が好きだという根本は変わらなくて、歳を重ねれば重ねるほど、好きになっていっているのは事実。好きだけではやっていけないけど、好きじゃないとやっていけない。昨シーズンで戦力外になってトライアウトを受けたのも、どこかで踏ん切りをつけなくちゃいけないというひとつの指標のようなものでした。
僕自身は苦しいことの方が多かった。ましてや実働で考えても、実際投げている時間にしても、リハビリしてる期間の方が長かった。それでもやってこられたのは、苦しい以上にうれしいことが待ってたからだと思うんです。ヤクルトの時の復帰戦もそう。楽天の時の復帰戦だってそう。苦しさ以上に、喜びが勝った。それは怪我をした人にしか感じられないものでした。
この10年。何度も言いますが、“もう”でも“まだ”でもない。ただ、何も感じずに過ぎ去っていくというのは違うと思う。震災の記憶や経験、思いを伝えていくのが僕たちの使命だとも思っています。もちろん遺族の方の思いもあるし、どこまで話していいのかというのもある。話すことで「果たして遺族の方は喜んでくれるのか」ということもすごく考えました。それでも、被災したみなさんは僕が野球をやっていることをすごく楽しみにしてくれているんです。
良くも悪くも影響力はあるので、だからこそ、発信していかなきゃいけない。田中将大さんが楽天に戻ってきたのも、何かの縁やつながりなのかな。野球人気を高めるきっかけになるのはもちろんですが、野球を通して子どもたちに震災のことを少しでも知ってもらえるかもしれない。いつ何がおきるかわからない日本で、改めて今こそ大切なことなんじゃないかと思っています。
埼玉武蔵ヒートベアーズ 佐藤由規
(新保友映 / Tomoe Shinbo)