過去に世界3位も人数不足で7年休部…西武・平良を生んだ中学硬式チームの“復活”への道

合同チームとして大会に挑んだ八重山ポニーズナイン【写真:チーム提供】
合同チームとして大会に挑んだ八重山ポニーズナイン【写真:チーム提供】

野球の楽しさを伝えることをメインに、部員2人から再出発

 八重山は2014年に平良の代が卒部すると人数不足で活動休止。また、一時は島外から生徒が集まった八重山商工も部員不足で、大会には合同チームで参加。石垣島から硬式野球がなくなりつつある現状に寂しさもありを覚えたこともあり、監督就任を決意すると、2021年1月に部員2人で再出発した。

 いざ監督になったものの、野球を離れて10年以上が経つ上に、指導経験もない。「正直、どうしたらいいかわかりませんでした」。そこで自身の中学時代を思い返してみたが、時は流れ、世の価値観が変わった。「野球が好きではなかった」自分を反面教師に、今の子どもたちにはとにかく野球の楽しさに触れてほしいと願う。

 中高生の頃はとにかく怖い存在だったという伊志嶺氏だが、教え子が石垣島に続く硬式野球の歴史をつないでくれたことがうれしかったのだろう。八重山の再出発にあたり、ボールやバットなどを寄贈してくれた。

 友利監督が目指すのは“エンジョイ・ベースボール”の実現だ。野球に興味を持った子どもたちが、八重山でさらに野球を好きになるように、自身も指導者として日々、成長のチャンスを伺っている。

 人としての成長を促すため、時には叱らなければならない場面もある。頭ごなしに怒鳴るのではなく、どんな注意の仕方があるのか。「どう叱ればいいかわからない」という友利監督は、選手が通う中学校の授業参観を見学し、校長をはじめ教育現場の諸先輩に教えを請うた。「まだどれが正解かはわかっていません」と苦笑いするが、その表情は充実感に溢れる。

 再出発から1年あまり。「練習したい」と笑顔で野球に取り組む子どもたちを見て、少しずつ手応えを感じているという友利監督にとって、再び石垣島で野球と向き合う日々はどんな意義を持っているのだろうか。

「正直、石垣で野球をやる意義のようなものは感じていません。生まれた場所が石垣だったというだけです。それでも、子どもたちの笑顔を見ていると楽しいんですよね。やっぱり、野球、好きなんです」

 新米監督と一緒に再び歩み始めた“離島の名門”。「野球が好き」という心でつながった監督と選手たちが、また新たな歴史を紡いでいく。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY