“広場恐怖症”と闘いながら都市対抗に出場 元ロッテ左腕が現役を続けるワケ
ロッテでは北海道遠征に参加せず、仙台と大阪にはマイカーで移動した
九州国際大在学中、広場恐怖症を発症した。疲労回復のため酸素カプセルに入っていて、45分で出るはずが手違いで約1時間半閉じ込められた。「当時のカプセルは古いタイプで外からしか開けることができず、いつ出られるのか分からずにトラウマになってしまいました」。以降、飛行機や新幹線など「1度動き始めたら、長時間自分の意志で降りられない乗り物」には強い不安を感じ、過呼吸、激しい動悸、意識がもうろうとするなどの症状を呈するようになった。
ロッテでは1軍に帯同して仙台、大阪に移動する際、1人だけマイカー移動を許可されていた。シーズン終了後の宮崎フェニックスリーグに参加した時には、約20時間かけて宮崎まで車を運転した。「自分が運転する分には、最悪の場合でも路肩に止めて外に出ることができる。安心感があります」と説明する。
日本ハムの本拠地である北海道への遠征には、陸路だけでは行けないため1度も参加したことがない。飛行機・新幹線の移動を、睡眠薬を常用して乗り越えようと試みたこともあったが徐々に薬は効かなくなり、副作用の倦怠感がプレーに悪影響を与えたことから、取りやめざるをえなかった。
病気がなければ、もっともっと1軍で働けていたはず。それでも永野自身は「ロッテには病気を承知で獲っていただき、入団後も最大限配慮していただいて感謝しています。最後は病気とは関係なく、左肩を痛めて戦力になれず残念でした。年齢的にも自由契約は覚悟していました」と淡々と振り返る。