高校教師を辞め野球指導者へ 米国で覆された日本の常識、習得した独特な練習法
深刻な野球人口減少に「誰にでも野球を教えられる場所を増やす」
競技人口の減少は福島県でも深刻だ。少年野球の子どもたちが減り、中学、高校も部員が減少。単独では試合に出られないチームは増えている。菊池さんは「野球をする子どもたちが減っている中で、誰でも野球ができる、誰にでも野球を教えられる場所を増やさなければ、今の流れを止められません」と力を込める。
小学3年生から大学まで野球を続けた菊池さんは、常にチームの中心にいた。打線の中軸を担い、ポジションは遊撃手や捕手。光南高時代は1年夏からベンチ入りして、秋からは捕手でレギュラーになった。甲子園を目指して自分に厳しく、チームメートを鼓舞するタイプだった。
「歯を食いしばって必死に練習するのが当たり前で、正解だと思っていました。でも、自分がレギュラーで試合に出ていたから言えることだと、指導者になって気付きました。特定の選手ばかりが練習したり試合に出たりするのではなく、選手それぞれのペースで野球を楽しむのがベストなのではないかと考えるようになりました」
今から4年前、当時25歳だった菊池さんは行動を起こす。高校の教師を辞めて、米国へ向かった。プロの指導者になると決意した。