父は元プロ野球選手も「自分は自分」 “重圧”乗り越え目指した中学硬式日本一の夢

明石ボーイズの筧新吾監督(左端)と筧裕次郎コーチ(右端)【写真:早浪章宏】
明石ボーイズの筧新吾監督(左端)と筧裕次郎コーチ(右端)【写真:早浪章宏】

明石ボーイズの背番号「1」筧遥真の父は近鉄、オリックスでプレーした裕次郎氏

 今年初開催された、中学硬式野球5団体の優勝チームが頂点を競う「1stエイジェックカップ 中学硬式グランドチャンピオンシリーズ」(28~29日、大阪シティ信用金庫スタジアム・甲子園)。各リーグの代表がプライドをかけて戦った2日間には様々なドラマがあった。ボーイズリーグ代表の「明石ボーイズ」(兵庫)は親子3世代で夢を追いかけていた。

「試合には負けましたが、息子と孫と一緒に日本一を目指せたことは幸せだった。誰もができることではないので、この舞台に来られたことに感謝します」

 28日に行われたフレッシュリーグ代表「佐賀フィールドナイン」との初戦に0-5で敗れたが、明石ボーイズの筧新吾監督は感慨深げに試合を振り返った。三塁コーチに立ったのは近鉄、オリックスでプレーした次男・裕次郎氏。そして「2番・中堅」でスタメン出場したのが孫の遥真(3年)だった。

 今年のチームは「第54回日本少年野球選手権大会」で初優勝。さらに“筧一族”は8月に愛知で開催された「2023年世界少年野球大会」に「JAPAN West」の監督、コーチ、選手として出場し、準優勝に輝いた。

「2番・中堅」で先発した筧遥真【写真:早浪章宏】
「2番・中堅」で先発した筧遥真【写真:早浪章宏】

プロを見据える息子に父は「本人次第」

 本来は背番号「1」を背負うエース左腕だが、左肩の故障で外野手として今大会に出場した遥真は「最後に打つことができなくてチームに申し訳ない。チームに入った時はお父さんの顔を潰さないようにと思っていた。でも、練習を頑張って最後は胸を張って野球をやることができた。憧れの存在。いつか追いつけるように頑張りたい」と、涙を見せながらも自らの成長を実感していた。

 父の裕次郎氏は高校時代に明徳義塾(高知)で「4番・捕手」として2002年夏の甲子園を優勝。その後はドラフト3位で近鉄に入団し、2008年までプレーした。野球を始めた頃から否が応でも父と比べられてきた遥真だが「自分は自分。色んなことを言われてきたがプレーで見せるしかない」と、猛練習でレギュラーをつかんできた。

 来年からは活躍の場を高校野球に移す。目標は甲子園、プロ野球選手と語る息子に、裕次郎氏は「一緒の舞台に立ってほしい思いはあるが、そんな甘い世界じゃない。自分で考える力をつけてやっていかないと勝ち残れない。あとは本人次第」と語り、今後は陰から見守っていくつもりだ。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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