上級生への色紙が「書けません」 コロナ禍で全部リセットも…全国初出場決めた“思考転換”

全中初出場を果たした東海大菅生高中等部【写真提供:村上晋氏】
全中初出場を果たした東海大菅生高中等部【写真提供:村上晋氏】

村上晋監督率いる東海大菅生高中等部は今夏の全中に初出場

 東京都あきる野市にある東海大菅生高校・中等部の軟式野球クラブは、今夏、全日本中学校軟式野球大会(全中)に初出場を果たしベスト16に進出した。2002年からチームを率いる村上晋監督は、「全中は狙って行ける大会ではありません。一発勝負を勝ち抜いて出場できるのは、全国でたった24校。東京都でさえ強豪ぞろいなのに、正直難しいとも思っていました」と打ち明ける。その難関をくぐり抜けた要因の1つに、コロナ禍を経ての“思考転換”があったという。

 村上監督は日体大まで野球部でプレーし、1992年から東海大菅生高に赴任。野球部部長として甲子園に春夏通算3度出場を果たし、2002年から中等部の顧問となった。2010年秋に都大会で初優勝。2015年夏には関東大会初出場と着々と力をつけ、元日本ハム育成の海老原一佳外野手(現高岡向陵高コーチ)や、今月行われるドラフト注目の左腕、細野晴希投手(東洋大)らを輩出した。

 そうしたチームの歩みを止めたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だ。部活動のみならず学校生活がストップし、選手たちの掛け声が消えたグラウンドで、生えた雑草をむしり取る日々。活動再開となって、村上監督は大きなショックを受けた。

「引退する3年生に色紙を書くことになっても、1年生は一緒に練習をしたことがないので『書けません』と言うんです。新チームになっても、練習の進め方がわからない。今まで培ってきたものが、全部リセットされてしまった。もう一度イチからやらなければいけないのかと、本当にしんどかったですね」

東海大菅生高中等部・村上晋監督【写真:高橋幸司】
東海大菅生高中等部・村上晋監督【写真:高橋幸司】

好きな打撃で「自分たちで練習を始めるように」…週2回は“我慢”も

 たった4人の部員からスタートして約20年、全国レベルにまで積み上げてきたものが崩れ落ちる感覚もあったが、「こういう時代だからこそ、自分も変わらないといけない」と思い直した村上監督。そこで昨年、ガラッと方針をスイッチ。ノックやキャッチボールなどの守備中心だった練習内容を、バッティング中心へと変えたのだ。

「グラウンドもスペースが限られていて、打撃練習は室内でしかできないこともあり、以前はほとんどやらなかったんです。でも、生徒たちに『打ちたい?』と聞くと『はい!』って言うし、じゃあやろうとなると、こちらがガミガミ言わなくても早く着替えて(笑)、自分たちで練習を始めるようになったんです」

 もちろん、好きな打撃ばかりやらせるのではなく、最低限の守備練習はするし、週2回ほどはランニングや階段を使った体力作りなど“我慢させる練習”も取り入れてメリハリをつけた。

 打撃練習をすれば当然、試合でも打てるようになる。投手のコマもそろった今夏は猛暑の中での戦いになったが、「何があっても慌てるな」と声をかけ続けた。都大会、関東大会ともに勝負所での打撃が光り、接戦を勝ち進んで準優勝。全中の大舞台へとたどり着いたのだった。

「選手時代も含めて40年やってきた野球観とは違うものでしたが、自分を変えようとしたら、全中に行くことができた。もちろん、ある程度の土台がなければダメですが、子どもたちのニーズや自主性に合わせて指導し始めた時に、難しいと思っていたところまでスーっと行けた。ああ、こういうことなんだなと肌で感じましたね」

 進出すれば全中への切符を得られる関東大会決勝は、中学軟式で初めての東京ドーム開催。学校の七夕イベントで、村上監督は「東京ドームで試合ができますように」と短冊にしたためていたといい「子どもたちも何人か気づいていたようですね」と笑う。固定観念を崩せれば、恐れるものはなくなる。大胆な思考転換の先に、これまで見えなかった世界が広がっていた。

(高橋幸司 / Koji Takahashi)

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