PLや大阪桐蔭から誘いも「強豪校が全てではない」 元燕・大引啓次さんの進路選択の決め手
PL学園や大阪桐蔭からも誘いも浪速高へ進学、高2で選抜出場
強豪校に進むだけが選択肢ではない。かつてオリックス、日本ハム、ヤクルトでNPB通算1288試合に出場した大引啓次さんは、野球部の専用グラウンドがなかった高校から大学を経てプロに入った。なぜ、声が掛かった甲子園常連校への進学を選ばなかったのか。大引さんが歩んだ道と考え方は、野球に取り組む子どもたちが進路を決める上で参考になるはずだ。
大引さんは小学1年で野球を始め、中学では大阪府のシニアで全国大会に出場。高校を決める時期になると、大阪府を中心に強豪校からの誘いがあったという。中には、PL学園や大阪桐蔭といった甲子園で優勝を狙える高校の名前もあった。だが、大引さんが選んだのは当時、選抜高校野球大会(1991年)に1度出場しただけの浪速高校だった。
「強豪校への憧れはありましたが、進学しても試合に出られないかもしれないと考えました。自分のゴールは甲子園出場ではなく、長く野球をすることでした。最終的な夢はプロでしたが、大学や社会人まで続けて、野球に携わる仕事がしたい気持ちが強かったです」
強豪校に進めば甲子園への近道になるかもしれない。ただ、それは自分が聖地の舞台に立つことと同義ではない。激しい競争を勝ち抜けずに試合に出場できない可能性や、厳しい練習に耐えられずに退部したり、怪我をしたりするリスクが頭に浮かんだ。大引さんは「長く野球を続ける」ことを最優先に、野球部に所属していた2学年上の兄から監督の指導方針を聞いていた浪速高校への進学を決めた。