肩壊して終えた野球人生…息子は「長く我慢してた」 裏方に徹する“元父親監督”の自省

1974年の創立から満50年を迎える東京・世田谷の船橋フェニックス【写真提供:フィールドフォース】
1974年の創立から満50年を迎える東京・世田谷の船橋フェニックス【写真提供:フィールドフォース】

今夏の日本一の大本命の声も…満50年の少年野球チーム「船橋フェニックス」

 秋の新人戦では最高位となる、関東大会で2連覇。その後も練習試合を含めて全勝を貫き、迎えた新年は都内で60チーム規模のトーナメント大会を相次いで制覇した。1974年の創立から満50年の節目に合わせたかのように、このところ急激に頭角を現してきた少年野球の軟式チームが東京都の世田谷区にある。区立船橋小学校を拠点とする船橋フェニックスだ。

 昨年は「小学生の甲子園」こと全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメントに初出場。そこでもプレーした2選手が残る今年は、同大会優勝を期している。難関の全国舞台に出てくれば、V候補の大本命として注目されることだろう。

 6年生は17人で、主力組のサイズ感とハイパフォーマンスは昨秋の時点で突出していた。投手陣は100キロ以上を投げる本格派が複数いて、強肩は三遊間ばかりではなく、ほぼダイレクトで本塁へ投げる外野陣も驚異的だった。打線はひと冬を越えて、70メートルのサク越えを含む本塁打が複数本という試合も増えてきている。

 あまりにもハイレベルで強すぎるゆえか、勝手なウワサや憶測がつきまとうが、平社知己代表はきっぱりとこう断言する。

「すごい選手を探しに行って引き抜くとか、ぜんぜんそんなのしてないです。各学年の監督やコーチにも『友人同士で他チームと話すのはいいけど、選手の勧誘や引き抜きは絶対するな!』と伝えてあります」

 現在は選手70人規模の大所帯で、ほぼ学年単位で活動する。6年生のうち数人は学区外の他チームからの移籍組だが、あくまでも選手側からアプローチがあり、同代表が保護者と面談した上での入部だ。

「自分の子だけ! みたいな親御さんの場合はお断りも……ごく稀(まれ)ですけどね」

 競技人口もチームも激減するなかでも、学区のシバリなどシガラミが残る地域もある。一方で、近年は市区町村外のチームに移籍する選手が珍しくない。明確にそれを禁じるルールは存在せず、チームや指導者が選ばれる時代となりつつあるようだ。

最速109キロの主戦格で長打も連発する松本一投手【写真提供:フィールドフォース】
最速109キロの主戦格で長打も連発する松本一投手【写真提供:フィールドフォース】

円陣でも「~しましょう!」…試合中も一様に明るい選手たち

 船橋フェニックスは、野球をする環境としては恵まれていない。都心部の多くのチーム同様、拠点の小学校校庭が使えるのは週末の半日のみ。それもサッカーチームと共用のため、指導陣と保護者らが公営のグラウンド(抽選)の確保に奔走。あとは遠征試合が主な活動で、平日練習はない。

 それでも、選手数を増やしながら成績を上げているのはなぜか。平社代表は「たまたまです。基本方針も健全育成とか努力する心とか一般的なもの」と答えてから続けた。

「大きな線のベクトルがあって、やり方や意見の違いは必ずある。熱心な親御さんも多いけど、私から『みんなで子どもたちを育てて可能性を広げてあげましょう!』みたいに言うと、大半はわかってくれます」

 類は友を呼ぶ、ということか。6年生チームも指導陣はすべて選手の父親たちで、感情的な言動はない。木村剛監督がこう語る。

「指導陣は過剰にはないですけど、子どもたちに気持ちよくやらせてあげるというのは意識しています。やったことの結果にだけフォーカスして良い悪いではなく、過程を含めて落ち着いて話せる感じ。野球だけの人生ではないので、きっかけの1つが学童の6年間であればいいのかなと思います」

 選手は一様に明るくて、試合中の「バモス!(スペイン語、ポルトガル語で「いこうぜ!」)」という声掛けや、円陣での「~しましょう!」という言葉遣いが印象的。ワンサイドゲームでも奢った態度や緩慢なプレーは見られず、一塁への全力走など当たり前を怠らない。

 通算80本塁打以上という4番の濱谷隆太内野手でも「打てなかったら代えられる、というつもりで打席に立っています」と危機感と隣り合わせ。最速109キロの主戦格、松本一投手は平日は朝晩と自主練習に余念がない。こういうハイレベルで競い合う選手たちに、指揮官はこう言い続けている。

「相手が強かろうが弱かろうが、自分たちの野球をしなさい! とにかく、相手に合わせるな!」

審判もこなしつつ各学年を見守る平社知己代表【写真提供:フィールドフォース】
審判もこなしつつ各学年を見守る平社知己代表【写真提供:フィールドフォース】

大差つけられ全勝ロードストップも…「自分たちはまだ上がれる」

 在籍約20年の平社代表は、そんなチームを穏やかに見守るだけで、ほとんど前面に出てこない。一方で大会審判を10年務めている。「他にやる人もいないし、審判から交流が広がる面もあるので」と話すが、自ら裏方もこなしながら目立とうとしない組織のトップは、少年野球でもかなり珍しい。

 その謙虚と奉仕のマインドは、深い自省から来ているという。一人っ子の息子が在籍当時は選手も少なく、5・6年時は学年監督も務めたが都大会にも出場できず。悔いはそこではなく、肩を壊した息子がラスト1年は試合にほぼ出られないまま、野球人生にピリオドを打ったことだという。

「私が監督だったので、息子は『痛い』と言えずに長いこと我慢していたと思います。そういう子をもうつくっちゃいけない! とチームに残ったんです」(同代表)

 4月に入り、全勝ロードがついに止まった。全国準Vの実績もある茨城県の強豪・茎崎ファイターズに、練習試合とローカル大会で連敗。抜け目のない相手にいずれも大差をつけられ、ベスト布陣だった2戦目は守りのミスが重なり、逆転されてからは打線もつながらなかった。

「むちゃくちゃ悔しいです。でも自分たちはまだ上がれると思ってるので、これを次に活かして全員で声を出してやっていきたい」と主将の長谷川慎内野手。木村監督は素直に負けを認めつつ、前を向いて言った。

「特効薬はたぶんないと思います。守る時間が長くなったり、大差をつけられたときにどう流れを変えて立て直していくか。個々の修正もそうだけど、チームとしてもみんなと考えていこうと思います」

 いまがゴールではないし、不敗ロードも結果にすぎなかった。真価はむしろ、ここから問われることになるだろう。2つめの黒星から30分もしないうちに、隣接するグラウンドでは、彼らが発する熱い声とボール回しの捕球音が響いていた。

〇大久保克哉(おおくぼ・かつや)1971年生まれ、千葉県出身。東洋大卒業後に地方紙記者やフリーライターを経て、ベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」で千葉ロッテと大学野球を担当。小・中の軟式野球専門誌「ヒットエンドラン」、「ランニング・マガジン」で編集長。現在は野球用具メーカー、フィールドフォース社の「学童野球メディア」にて編集・執筆中。

(大久保克哉 / Katsuya Okubo)

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