プロ野球も歌手も挫折…営業トップでも募る“虚しさ” 天職掴んで知った「失敗の本質」

小学生からプロまでサポート…船木永登氏は選手に“寄り添う”トレーナー
夢だったプロ野球選手をあきらめ、営業トップだった仕事を辞め、本気で目指した歌手も断念――。回り道をした末にたどり着いたのは、野球に特化したトレーナーだった。現在36歳、都内2か所でジムを運営するプロトレーナー・船木永登さんは、多くの人たちに慕われ、ジムの会員は口コミだけで増えている。天職に巡り合うまでに時間はかかったが、生きることを投げ出そうとするほど悩み、もがいたからこそ、上手くいかない選手たちの苦しみに寄り添い、頼られる存在になっている。
船木さんのもとには少年野球からプロ野球まで、あらゆるカテゴリーの選手が訪れる。パフォーマンスを上げるための体の使い方やトレーニングの仕方など、個々の選手に最適なプログラムを組み立てている。船木さんはトレーナーとして1つの信念がある。
「選手に対して、自分の野球経験を伝えている部分は1つもありません。体の専門家としてマインドを入れ替え、学び直した知識や経験だけを伝えています。私は野球で成功できなかったので、選手時代の経験を混同するのは、ジムに来ていただいている方々に失礼ですから」
小学校3年生で野球を始めた船木さんは、投手としてプロ野球選手を目指していた。高校は名門・仙台育英に進み、1学年下には元ヤクルトの由規投手がいた。大学は関東学院大に進学。しかし、思ったような成長曲線を描けず、夢をあきらめた。船木さんが当時を回想する。
「努力は報われるという言葉を信じていましたが、全然伸びなかったですね。トライアンドエラーで、いろんな練習やトレーニングを取り入れましたが、どんなに努力をしても上にはいけないと痛感しました」

プロ野球選手をあきらめて完全歩合制の企業に就職「一旗揚げたい」
野球にピリオドを打った船木さんは大学卒業後、完全歩合制の不動産販売会社に就職した。担当するのは住宅の営業。人生で最も高額な買い物と言われる商品を売るのは簡単ではない。入社1年目は先輩を手伝いながら仕事を覚えていくのが一般的だ。
ところが、船木さんの意気込みや目標は、同期と比べて突出していた。「2位に圧倒的な差をつけて営業成績でトップに立つ」。原動力は、野球で成功できなかった悔しさだった。
「上のステージで野球選手として活躍していた、高校や大学の同期や後輩に負けたくない気持ちがありました。大きなものを売れば、大きく稼げると考えていました。営業マンとして一旗揚げたい思いが強かったですね」
船木さんは毎日、朝4時まで働いた。他の従業員が帰宅してからが「本当の勝負」ととらえていた。誰よりも多くの電話をかけ、歩き回って営業した。「人の何倍も頑張れば、早く成長できると思っていました」。その結果、目標通り断トツの営業成績を残した。しかし、誇らしいはずの結果と気持ちに乖離があった。周りから評価されても、虚しさが消えなかったという。
「売上1位になっても、『これは自分ではなくてもできる仕事なのではないか』と感じていました。自分の今までの失敗や財産を生かせているのかを考えると、直感的に何か違うと。迷いが生まれていた頃、やりたかったことが頭に浮かびました」
次に描いた夢は歌手だった。船木さんは大学2年生の冬にダンス&ボーカルグループ「EXILE」のライブを見て、「努力をすれば、歌でこんなにも人を感動させられるのか」と感銘を受けた。プロ野球選手になるのは難しいと感じていたこともあり、ライブ翌日からボイストレーニングの学校に通った。1年後には「三代目 J SOUL BROTHERS」のオーディションに挑戦。しかし、結果は不合格だった。
「三代目」のメンバーと会って「人間性のレベルが違う」
志半ばで不動産会社に就職していた船木さんは、本気で歌唱力を鍛えて再び歌手を目指すと決めた。完全歩合制の不動産会社では歌の練習をするのが難しかったため、土日休みで定時退社できる仕事に転職。学校はプロを目指すボーカリストコースに入学した。
マイク付きの電子ピアノを購入し、仕事が終わった後や休日は自宅で歌の技術を磨く。船木さんは「野球が上手くいかなかったコンプレックスがありました」と振り返る。華やかなステージに立つ姿をイメージし、歌に没頭した。ところが、またも挫折を味わうことになる。大学の後輩を通じて「三代目 J SOUL BROTHERS」のメンバーと会う機会を得た船木さんは、その場で自分に足りないものを思い知らされた。
「人気絶頂にもかかわらず、そのメンバーの方はすごく謙虚でした。仮に自分が同じように成功したら、ふんぞり返っていると思います。その時、人間性のレベルが違うと感じ、『自分が、この分野で勝てるはずはない』と心が折れました」
野球でも歌でも成功できず、不動産営業も合わない。「3つ全てが駄目だったのに、4つ目が上手くいくはずがない」。船木さんは自暴自棄になり、生きる気力も失った。夜中にパソコンで富士の樹海を調べたこともあったという。その時、母親からの何気ない一言に脳が反応した。
「トレーナーをやりたいと言っていなかった?」

「どんなに努力をしても正しいやり方をしなければ伸びない」
船木さんは就職活動をしていた大学時代、トレーナーの学校に行くかどうか迷っていた時期があった。頭の片隅に追いやられていた記憶が、母親の言葉でよみがえった。船木さんが回想する。
「その頃読んだ本の中に『自分が好きなことは、実はすでにやっていること』という文言がありました。私は野球が上手くなるためにトレーニングをしていましたが、実はトレーニングそのものが好きなのではないかと気付きました。トレーナーの仕事なら、一生続けられるかもしれないと思いました」
気持ちは沈んでいたが、行動力は衰えていなかった。船木さんはトレーナーの専門学校へ体験入学に行き、「これだ」と自分の天職に出合ったと確信した。アルバイトでお金をためて専門学校に入学し、入学後は朝から夕方までフィットネスクラブで働きながら、夕方以降は学校に通う生活を2年間続けた。
船木さんは選手だった頃の知識や経験をリセットし、トレーナーとして歩むと決めた。今思い返すと、野球が上手くいかなかった理由の1つに「自己流」があったと考えている。筋力をつけるためのトレーニングや体を大きくするための食事など人一倍努力したが、実を結ばなかった。だからこそ、トレーナーになる時は自己流ではなく、専門学校でプロから学ぶ方法を選んだ。
「自分の失敗談から、今サポートしている選手たちには、どんなに努力しても正しいやり方をしないと伸びないと言えます。伝えているのは、トレーナーになってから身に付けた知識や技術だけです。選手たちの努力が結果につながるようにサポートしていきたいと思っています」
プロ野球選手や歌手のように表舞台に立つ夢はかなわなかった。ただ、過去の挫折がなければ、選手たちをそれぞれのカテゴリーで輝かせる天職にはたどり着けなかっただろう。船木さんは“プロの裏方”として活躍する場を見つけた。
〇船木永登(ふなき・ひさのり)1988年4月29日、東京都国分寺市生まれ。小学3年生で野球始める。投手として仙台育英高、関東学院大でプレー。仙台育英高の1学年下の後輩に元ヤクルト・由規投手、2学年下に巨人・橋本到2軍打撃コーチがいる。現在は株式会社SSLの代表取締役を務め、都内2か所でジムを運営。
(間淳 / Jun Aida)
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