「マシンガン打線」の生みの親が社会人野球で再出発 43年目のユニフォームに込める思い
43年目の現場。再びユニフォームを身に纏う
42年間在籍した球団から通告された突然の契約打ち切り。43年目の現場はないはずだった。だが気が付くと、道は用意されていた。男は再びユニフォームをまとうことを決めた。
昨年、大洋ホエールズ時代から通じて、選手として26年、指導者として16年、計42年間在籍した横浜DeNAを退団したばかりの高木由一(65)が、社会人のJR東日本の臨時打撃コーチに就任することになった。この4月から本格的に指導を開始している。現役時代、ともにプレーした銚子利夫が内野守備の臨時コーチを務めている縁もあり、堀井哲也監督からオファーを受けた。昨年の12月のことだった。
「その前は色々と考えていました。野球スクールもやりたかったけれど、場所探しとかで色々な制約があったんですよね。グラウンドやホームベース作りなどの問題もあった。そこでこの話がきて、一度経験してみようと思ったんですよ。社会人は私の野球の原点ですからね」
そう、社会人野球はまさに出発点と言っていい場所だった。高校生から本格的に野球を始めた高木が卒業後にプレーした場所が社会人野球。所属したのは就職先の相模原市役所の硬式野球部で、そこから大洋の入団テストを受けてプロ入りした経歴は、長いプロ野球の歴史の中でも異色と言える。
その後、大洋の4番打者などを務め、オールスターゲームにも出場するほどの成績を残した高木にとって、社会人野球に携わることは実に43年ぶりのことだ。
指導をするJR東日本は2011年の都市対抗を制し、12年、13年と準優勝をしている強豪。昨年のオリックスのドラフト1位・吉田一将投手をはじめ、ドラフトにかかる選手を7年連続で輩出している。横浜の打撃コーチとして「マシンガン打線」を生み出し、1998年の日本一奪取に貢献している高木ですら「レベルは高いですよ」と驚くほどだ。