“甲子園のアイドル”は「超高校級だった」 鉄腕に脱帽も…危惧し続けた「投げすぎ」
“甲子園のアイドル”は「超高校級だった」 鉄腕に脱帽も…危惧し続けた「投げすぎ」
高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長…
飛び交った“誹謗中傷” 屈辱の無期限の活動休止も…甲子園実現に「やってよかった」
“元祖甲子園アイドル”で、元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、1984年の現役引退後、再びユニホームを着ることなく、外からプロ野球を見続けている。「伝える側に面白さ…
阪神から突然の誘い「どうする?」 栄光のドラ1が黙々とこなした“裏方”…巡ってきた「最後の勝負」
“国民的スター選手”として名を馳せた太田幸司氏(野球評論家)は、プロ15年目の1984年限りで現役生活にピリオドを打った。前年(1983年)開幕前に近鉄から巨人に移籍し、そ…
憧れだったのに…巨人移籍を「断って辞めようかな」 予想外の放出、複雑だった“付属品扱い”
“元祖甲子園アイドル投手”の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ14年目の1983年開幕前の3月25日に石渡茂内野手とともに近鉄から巨人に移籍した。金銭トレードだった。1981…
誰もが予想できぬ“最後の勝利” 復活信じた女性ファンも…ボロボロの元ドラ1「今だったら」
甲子園で人気を集めた元近鉄ドラフト1位右腕、太田幸司氏(野球評論家)のプロ野球人生は、プロ10年目の1979年10月に右肩痛を発症させてから暗転した。11年目の1980年は…
洗顔で気づいた右肩の“悲鳴”「もう駄目」 日本S直前の悲劇「いっぺんにプチーンと」
どうしようもなかった。元近鉄主力投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ10年目の1979年に右肩痛を発症した。シーズン終盤に調子を上げ、10月9日の南海戦(大阪)で7勝目をマ…
原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”
突然、勝てなくなった。“元祖甲子園のアイドル”で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ5年目(1974年)から8年目(1977年)の4シーズンで3度、2桁勝利をマーク…
OP戦絶好調で「いつ声がかかるのか」 開幕投手はお預け…自己最高も忘れぬ初登板の“洗礼”
元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)がキャリアハイの12勝をマークしたのはプロ6年目の1975年だ。この年はオープン戦で絶好調だったが、4月は1勝3敗。それを5月に5勝0敗…
初の2桁も「大して上がらなかった」 チーム低迷で渋かった契約更改…超人気ドラ1の悲哀
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ5年目の1974年シーズンで初の2桁となる10勝をマークした。青森・三沢高時代に甲子園を沸かした“国民的スター右腕”が決して人気だ…
“肩重い”発言にまさかの返答「何gか量ってこい」 連投先発当たり前…忘れぬ昭和の酷使
“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の1973年シーズンに初めて規定投球回に到達した。40登板(28先発)、192回を投げて6勝14敗、防…
人気先行で「組織票かな」 2軍調整中に球宴選出…「もう嫌」を変えた夏の甲子園
三沢高時代に甲子園を沸かせた元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)がプロで“きっかけ”をつかんだのは高卒3年目の1972年だ。2年目オフからフォームをスリークオーター気味にして、…
ファン投票1位は「辛かった」 ドラ1が陥った“精神崩壊”…2年間1勝で一転バッシング
追い込まれた。元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)にとってプロ2年目(1971年)は大試練のシーズンだった。三沢高時代に甲子園を沸かせた超人気者として注目を集めながら、この…
ダウン提示でサイン「お前はアホか」 わずか1勝で球宴選出…噛み合わぬ“人気と実力”
近鉄ドラフト1位右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1970年の高卒1年目から開幕1軍入りを果たした。4月19日のロッテ戦(藤井寺)ではリリーフでプロ初登板して初勝利。三沢高時…
ボロボロの寮…試合後に女性が侵入「追い出して」 ドラ1入団も絶望感、夜に響いた叫び声
驚きの連続だった。1969年のドラフト1位で青森県立三沢高から近鉄に入団した太田幸司氏(野球評論家)はいろんな意味でショックを受けたという。1年目のキャンプでプロのレベルの…
阪神なら「潰れていたかも」 想定外のパ球団1位…ドラフト目玉が悩み抜いた15日間
三沢高・太田幸司投手(現・野球評論家)の近鉄入団発表は1969年12月22日に大阪市の近鉄本社で行われた。その年の甲子園大会を沸かせた国民的大スター右腕の加入だけに、記者会…
「巨人はちょっと…」17歳の“本音” ドラ1候補も確約ナシ、パ球団の指名に困惑
青森県立三沢高出身で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は1969年、社会現象にまでなった「コーちゃんフィーバー」の“主役”だ。端正な顔立ちに松山商との夏の甲子園決勝延長1…
自宅に女性ファンで仰天「家出してきました」 甲子園で異常人気…“SOS”も出せず疲弊
常に注目を浴び続けた。元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森県立三沢高時代に甘いマスクの快速球右腕として人気大爆発。1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引…
決勝再試合…動かぬ右腕、ご飯も食べられず “元祖アイドル”を襲った極限の疲労
1969年8月18日、夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は延長18回0-0の引き分け再試合になった。甘いマスクで人気急増中だった三沢の快速球右腕・太田幸司投手…
女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目…
甲子園で痛恨牽制死「野球辞める」 逃したサヨナラ…「大変だった」“事後処理”
青森県立三沢高のエースだった太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神、野球評論家)は1969年夏の甲子園準優勝右腕だ。延長18回0-0再試合となった松山商との決勝戦は伝説だが、その夏…
KEYWORD