選抜優勝も…感じた異変「しんどすぎて」 “包囲網”にすり減る神経「負けるかも」|球界群像 今村猛#6
最後の夏は不完全燃焼だった。元広島右腕の今村猛氏は長崎・清峰高3年の2009年選抜大会で優勝。甲子園春夏連覇を目指したが、夏の長崎大会は準々決勝で敗れた。のちにカープで僚友…
選抜優勝も…感じた異変「しんどすぎて」 “包囲網”にすり減る神経「負けるかも」|球界群像 今村猛#6
最後の夏は不完全燃焼だった。元広島右腕の今村猛氏は長崎・清峰高3年の2009年選抜大会で優勝。甲子園春夏連覇を目指したが、夏の長崎大会は準々決勝で敗れた。のちにカープで僚友…
「体が重いなぁ」→甲子園無双でドラ1 長崎の公立校に現れた“怪物”「負ける気しない」|球界群像 今村猛#5
広島で“勝利の方程式”の一翼を担ったリリーフ右腕・今村猛氏は2009年選抜大会で清峰高のエースとして大活躍し、長崎県勢初の甲子園制覇を成し遂げた。1回戦から決勝までの全5試…
甲子園出場も「緊張はなかった」 冬に味わった“地獄”の日々「足がつっても」|球界群像 今村猛#4
元広島右腕の今村猛氏は長崎・清峰高に進学し、大きく飛躍した。球速は大幅アップ。2007年の高校1年秋には140キロ台のストレートを投げ、3年の2009年夏前には150キロも…
「高校で野球辞めます」→甲子園V 進路は“家業一択”も…想像できなかったドラ1指名|球界群像 今村猛#3
現役時代を広島一筋でプレーし、通算115ホールドを挙げた今村猛氏は2007年、長崎県立清峰高に進学した。2003年4月に校名を「北松南(ほくしょうみなみ)」から「清峰」に変…
MLB挑戦直前の“英雄”に死球 「痛くないだろう」も、まさかの展開…プロに繋がった縁|球界群像 今村猛#2
広島でリリーフ右腕として大活躍した今村猛氏は、長崎・佐世保の小佐々(こさざ)中2年冬に同郷の城島健司捕手(当時マリナーズ、現ソフトバンク・チーフ・ベースボール・オフィサー)…
野球よりサッカー…小3で迎えた“転機“ ドラ1右腕の運命を変えた祖母の言葉|球界群像 今村猛#1
ポーカーフェイスで黙々と投げ続けた仕事人、広島で中継ぎ、抑えでも活躍した右腕が今村猛氏だ。2021年に30歳でユニホームを脱ぎ、現在はパーソナルトレーニング専門ジム「R―G…
理由は「僕を見てくれない」 練習中断に衝撃「ちょっと待って」…阪神コーチが得た教訓|球界群像 上田二朗#22
NPB通算92勝右腕の上田二朗氏は、2012年1月1日付で阪神球団を退団した。1969年ドラフト1位で東海大から阪神入り。1979年オフに南海に移籍したが、1982年途中に…
阪神右腕が悟った終焉の時 “侮り”が生んだ絶望、相手に伝えた「お前のせいで辞めたんや」|球界群像 上田二朗#21
1973年に年間22勝をマークした伝説のアンダースロー、上田二朗氏(野球評論家)はプロ13年目の1982年に現役を引退した。シーズン途中の6月に南海から阪神に復帰したが、8…
“因縁の監督”に聞いた冷遇の真相 阪神退団も…またも共闘「考えられません」|球界群像 上田二朗#20
まさかだった。NPB通算92勝のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は1979年、ドン・ブレイザー監督体制の阪神で出番激減もあって、オフに南海へ金銭トレードで移籍し…
20点差で敗戦処理、元エースが味わった“冷遇” 新監督に相手にされず…待っていたトレード|球界群像 上田二朗#19
1973年に阪神で22勝を挙げたアンダースロー右腕の上田二朗氏(野球評論家)は、プロ10年目(1979年)のオフに南海へ移籍した。金銭トレードだった。阪神がドン・ブレイザー…
2桁勝利でも敗戦処理、間隔空く登板 阪神右腕が抱いた不満「何で投げさせてくれないのか」|球界群像 上田二朗#18
元阪神、南海のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は登録名の“名前”を何度か変更したことでも知られている。12勝を挙げたプロ7年目の1976年までは本名の「上田二朗…
虎党の不満爆発→甲子園で大暴動…監督に「どうしてですか」、敵軍まで驚いた決断|球界群像 上田二朗#17
元阪神右腕・上田二朗氏(野球評論家)にとって1973年は忘れられないシーズンだ。左腕・江夏豊投手と9月23日の広島とのダブルヘッダー(広島)で“同日20勝到達”を達成するな…
長嶋茂雄を前に「嫌です」 名捕手の提案をキッパリ拒否も…直後に狂った手元|球界群像 上田二朗#16
阪神のレジェンド右腕・上田二朗氏(野球評論家)は、22勝を挙げたプロ4年目の1973年シーズンで惜しくもノーヒットノーランの偉業達成を逃した。7月1日の巨人戦(甲子園)で9…
偶然が生んだ新球で年間“22勝”「それは無理無理…」 きっかけは最強捕手の言葉|球界群像 上田二朗#15
元阪神アンダースロー右腕で、NPB通算92勝を挙げた上田二朗氏(野球評論家)は4年目の1973年に22勝をマークした。それまでの3年間は9勝、1勝、9勝だったが、大ジャンプ…
阪神監督から“引っ越し指令”「来い!」 ド緊張の同伴通勤…厳しかった同僚の視線|球界群像 上田二朗#14
1969年阪神ドラフト1位でNPB通算92勝を挙げた上田二朗氏(野球評論家)は、プロ3年目の1972年5月9日の大洋戦(甲子園)で“リリーフ完封勝利”を成し遂げた。初回無死…
ドラ1入団→前半戦7勝も「丸裸にされた」 球宴中に巨人捕手から“呼び出し”「受けてやる」|球界群像 上田二朗#13
巨人の正捕手に丸裸にされた? 元阪神のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)はプロ1年目の1970年に27登板、9勝8敗、防御率3.00の成績を残した。2桁勝利に届か…
ドラ1入団も「口で言えないようなつらさ」 思わぬ“洗礼”…阪神右腕が抱えた苦悩|球界群像 上田二朗#12
屈辱からのスタートだった。1969年ドラフト1位で阪神に入団した右腕・上田二朗氏(野球評論家)はプロ1年目(1970年)の高知・安芸キャンプでいきなり悔しい思いをした。「“…
“上から目線”の同期「見下ろされている」 ラジオで増幅した中日ドラ1への敵対心|球界群像 上田二朗#11
阪神、南海で通算92勝を挙げ、現在は野球評論家を務める上田二朗氏は1969年ドラフト会議で阪神に1位指名され、東海大出身では初のプロ野球選手になった。出身地・和歌山の社会人…
「学生にあるまじき発言だ!」大学総長が激怒…エースに託された日本一の約束|球界群像 上田二朗#10
元阪神、南海右腕の上田二朗氏(野球評論家)は1969年、東海大4年の時にエースとして全日本大学野球選手権初制覇に大貢献した。前年(1968年)の明治維新百年記念明治神宮大会…
18歳の江夏に“絶望”「来るのはやめてくれ」 阪神元ドラ1が受けた衝撃「私の出る枠が」|球界群像 上田二朗#9
あの頃から凄かった……。NPB通算92勝のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は阪神時代、江夏豊投手との両輪で大活躍したが、1歳年下の左腕とは東海大学時代にも“接点…
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