「今の若いヤツは…」 宿舎で聞こえてきた先輩の小言…対抗した“前時代的”思考|球界群像 杉本正#9
西武などで先発左腕として活躍した杉本正氏(野球評論家)は、社会人野球・大昭和製紙(富士市)2年目の1979年に都市対抗野球大会で活躍、インターコンチネンタルカップ日本代表に…
「今の若いヤツは…」 宿舎で聞こえてきた先輩の小言…対抗した“前時代的”思考|球界群像 杉本正#9
西武などで先発左腕として活躍した杉本正氏(野球評論家)は、社会人野球・大昭和製紙(富士市)2年目の1979年に都市対抗野球大会で活躍、インターコンチネンタルカップ日本代表に…
因縁の登板で浴びた“怒号” 新人に容赦ないヤジ攻勢…元中日左腕「そりゃあ怒りますよ」|球界群像 杉本正#8
西武、中日、ダイエーの3球団で通算13年間プレーした左腕・杉本正氏(野球評論家)は社会人野球・大昭和製紙(富士市)出身だ。1978年の社会人1年目は都市対抗野球大会での登板…
広島からオファーも「行きません」 “内定先”も異例の拒否、周囲の反対を押しのけ選んだ進路|球界群像 杉本正#7
西武、中日時代に2桁勝利を計3度マークした左腕・杉本正氏(野球評論家)は1978年、静岡・御殿場西高を卒業して社会人野球・大昭和製紙(富士市)に入社した。静岡大会3回戦でノ…
「ああ、終わった」最後の夏と決めた“野球” 調理師を模索も…16回無安打投球で黙らぬ周囲|球界群像 杉本正#6
西武などで活躍した左腕・杉本正氏(野球評論家)は1977年の御殿場西高3年夏の静岡大会で抜群のピッチングを見せた。2回戦は7回コールド参考記録のノーヒット・ノーラン。3回戦…
「1年をベンチに入れるな」 エースが監督に直談判…“屈辱”が招いた口論「冗談じゃない」|球界群像 杉本正#5
野球評論家の杉本正氏(元西武、中日、ダイエー投手)は、静岡・御殿場西2年秋から、エース兼3番打者として活躍した。シュアな打撃に、左腕から繰り出す安定感のある投球。「ホームラ…
不祥事に監督激怒「お前ら辞めろ」 1人残して15人退部…見舞われた緊急事態|球界群像 杉本正#4
仲間たちが、まさかの……。元西武、中日、ダイエーで活躍した左腕の杉本正氏(野球評論家)は、静岡・御殿場西高で1975年の高校1年夏から控え投手としてベンチ入りを果たした。し…
異業種志望、高校に行く気もナシ 突如変わった“運命”…「家出して辞めた」同期のライバル|球界群像 杉本正#3
進学の条件は「問題を起こしたら高校をやめること」だった。西武、中日、ダイエーでプレーし、NPB通算81勝をマークした左腕・杉本正氏(野球評論家)は、1975年に私立御殿場西…
“野球をさせてくれない”野球部のリアル 元プロが直面した現実…1か月で「もうやめた」|球界群像 杉本正#2
元西武、中日、ダイエーでプレーした杉本正氏(野球評論家)は、1972年4月、静岡・小山町立小山中学の軟式野球部に入部した。町立成美小6年時の地域ソフトボール大会で6本塁打と…
体操着で大会出場…“大人の事情”で「負けでいいです」 左利きで三塁手、西武左腕の原点|球界群像 杉本正#1
西武、中日、ダイエーの3球団で活躍した左腕が杉本正氏(野球評論家)だ。1980年ドラフト3位で大昭和製紙から西武に入団し、デビュー戦で完封勝利を飾るなど1年目から実力を発揮…
高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い|球界群像 太田幸司#27
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長…
飛び交った“誹謗中傷” 屈辱の無期限の活動休止も…甲子園実現に「やってよかった」|球界群像 太田幸司#26
“元祖甲子園アイドル”で、元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、1984年の現役引退後、再びユニホームを着ることなく、外からプロ野球を見続けている。「伝える側に面白さ…
阪神から突然の誘い「どうする?」 栄光のドラ1が黙々とこなした“裏方”…巡ってきた「最後の勝負」|球界群像 太田幸司#25
“国民的スター選手”として名を馳せた太田幸司氏(野球評論家)は、プロ15年目の1984年限りで現役生活にピリオドを打った。前年(1983年)開幕前に近鉄から巨人に移籍し、そ…
憧れだったのに…巨人移籍を「断って辞めようかな」 予想外の放出、複雑だった“付属品扱い”|球界群像 太田幸司#24
“元祖甲子園アイドル投手”の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ14年目の1983年開幕前の3月25日に石渡茂内野手とともに近鉄から巨人に移籍した。金銭トレードだった。1981…
誰もが予想できぬ“最後の勝利” 復活信じた女性ファンも…ボロボロの元ドラ1「今だったら」|球界群像 太田幸司#23
甲子園で人気を集めた元近鉄ドラフト1位右腕、太田幸司氏(野球評論家)のプロ野球人生は、プロ10年目の1979年10月に右肩痛を発症させてから暗転した。11年目の1980年は…
洗顔で気づいた右肩の“悲鳴”「もう駄目」 日本S直前の悲劇「いっぺんにプチーンと」|球界群像 太田幸司#22
どうしようもなかった。元近鉄主力投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ10年目の1979年に右肩痛を発症した。シーズン終盤に調子を上げ、10月9日の南海戦(大阪)で7勝目をマ…
原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”|球界群像 太田幸司#21
突然、勝てなくなった。“元祖甲子園のアイドル”で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ5年目(1974年)から8年目(1977年)の4シーズンで3度、2桁勝利をマーク…
OP戦絶好調で「いつ声がかかるのか」 開幕投手はお預け…自己最高も忘れぬ初登板の“洗礼”|球界群像 太田幸司#20
元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)がキャリアハイの12勝をマークしたのはプロ6年目の1975年だ。この年はオープン戦で絶好調だったが、4月は1勝3敗。それを5月に5勝0敗…
初の2桁も「大して上がらなかった」 チーム低迷で渋かった契約更改…超人気ドラ1の悲哀|球界群像 太田幸司#19
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ5年目の1974年シーズンで初の2桁となる10勝をマークした。青森・三沢高時代に甲子園を沸かした“国民的スター右腕”が決して人気だ…
“肩重い”発言にまさかの返答「何gか量ってこい」 連投先発当たり前…忘れぬ昭和の酷使|球界群像 太田幸司#18
“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の1973年シーズンに初めて規定投球回に到達した。40登板(28先発)、192回を投げて6勝14敗、防…
人気先行で「組織票かな」 2軍調整中に球宴選出…「もう嫌」を変えた夏の甲子園|球界群像 太田幸司#17
三沢高時代に甲子園を沸かせた元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)がプロで“きっかけ”をつかんだのは高卒3年目の1972年だ。2年目オフからフォームをスリークオーター気味にして、…
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