決勝再試合…動かぬ右腕、ご飯も食べられず “元祖アイドル”を襲った極限の疲労|球界群像 太田幸司#10
1969年8月18日、夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は延長18回0-0の引き分け再試合になった。甘いマスクで人気急増中だった三沢の快速球右腕・太田幸司投手…
決勝再試合…動かぬ右腕、ご飯も食べられず “元祖アイドル”を襲った極限の疲労|球界群像 太田幸司#10
1969年8月18日、夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は延長18回0-0の引き分け再試合になった。甘いマスクで人気急増中だった三沢の快速球右腕・太田幸司投手…
女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”|球界群像 太田幸司#9
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目…
甲子園で痛恨牽制死「野球辞める」 逃したサヨナラ…「大変だった」“事後処理”|球界群像 太田幸司#8
青森県立三沢高のエースだった太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神、野球評論家)は1969年夏の甲子園準優勝右腕だ。延長18回0-0再試合となった松山商との決勝戦は伝説だが、その夏…
マウンドで“謝罪”「ごめん、ストライク入らんわ」 喜べぬ2安打完封…伝説へ苦難の連続|球界群像 太田幸司#7
苦難の道のりだった。元近鉄右腕の太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神)は青森県立三沢高の2年生エースとして1968年夏に初めて甲子園を経験した。2回戦で海星(長崎)に1-3で敗れ…
甲子園で「膝がガクガク」 酷暑なのにクーラー禁止…夜中に新エースを襲った“洗礼”|球界群像 太田幸司#6
1968年夏、2年生エース・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)を擁する青森県立三沢高は甲子園大会に初出場した。1回戦(8月10日)は鎮西(熊本)を7-0で下し、初勝利。2回…
ナインも両親も「ボロボロ泣いた」 ベンチで“絶望”…列島感動の伝説試合よりも残る思い|球界群像 太田幸司#5
青森・三沢高時代に「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)と言えば、1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の…
「当たってでも出ろ」→逃げた先に“恐怖” ドブ川で水分補給…「ムチャクチャ」な高校野球|球界群像 太田幸司#4
元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森・三沢高時代に、伝説の1969年夏・甲子園決勝延長18回0-0引き分け再試合をはじめ、不動のエースとして活躍した右腕でもあるが、その根…
先輩エース差し置き「お前がいけ」 1年がいきなり“ノーノー”…元祖甲子園アイドルの原点|球界群像 太田幸司#3
元近鉄、巨人、阪神で活躍した右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1967年に青森県立大三沢高(1968年4月から三沢高に改称)に進学し、1年秋には2年生エースを押しのけて、背番…
全員故障で野球人生が激変…「ちょっとやって」 恩師が“作った”甲子園のアイドル|球界群像 太田幸司#2
最大の“転機”はチーム事情で巡ってきた。甲子園の元祖アイドル右腕で元近鉄ドラフト1位の太田幸司氏(野球評論家)は、1964年、三沢市立第一中学の軟式野球部に入部した。当初は…
甲子園沸かせた元祖アイドル 甘いマスクでフィーバーも…目立たぬ学生時代「野球は下手」|球界群像 太田幸司#1
甲子園を沸かした“元祖アイドル右腕”が太田幸司氏(野球評論家)だ。うなる快速球に甘いマスク。青森・三沢高エースとして、1969年夏決勝の延長18回0-0引き分け再試合での激…
初のハローワークに「ちょっと恥ずかしい」 元プロが“捨てた”プライド、3年後に掴んだ出世|球界群像 紀藤真琴#27
現役時代は広島などで中継ぎでも先発でも活躍した右腕で、引退後は楽天などで投手コーチを務めた紀藤真琴氏は、2025年11月に広島市西区の株式会社EJフィールド代表取締役に就任…
まさかの指令に「それはダメですよ」 野村監督から高すぎる要求…田中将大を巡る苦悩|球界群像 紀藤真琴#26
広島、中日、楽天でプレーした右腕・紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、2006年シーズンに、野村克也監督率いる楽天の2軍投手コーチに就任した。2年目(2007…
パ球団に移籍も…待っていた悪夢「これは無理」 40度の高熱に効かない薬「重症だった」|球界群像 紀藤真琴#25
2005年シーズン限りで紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は現役を引退した。プロ22年目、創設1年目の楽天でのプレーが最後になった。現役ラストイヤーは0勝5敗。…
契約更改で異例の懇願「年俸上げないで」 広島→中日で復活も…見据えた“終わり”|球界群像 紀藤真琴#24
また故障と闘い、再び這い上がった。2000年オフに広島から中日にトレード移籍した紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)だが、新天地でスムーズに事は進まなかった。中日…
引退よぎるも中日からトレード打診 「冗談半分」のはずが…“闘将”から「お前が欲しい」|球界群像 紀藤真琴#23
2000年オフに紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は広島から中日に移籍した。右腕・鶴田泰投手との交換トレードだった。1983年にドラフト3位で広島に入団し、リリ…
右肘が「グチュグチュ」 32歳で動かぬ体…失ったエースの座、周囲から“哀れみの目”|球界群像 紀藤真琴#22
これまでの無理が……。元広島エース右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ11年目の1994年から3年連続2桁勝利をマークしてチームを支えたが、14年目…
痛み止め頼るも悲鳴上げる肉体 広島エースは「ちょっと鬱に」…“拒否”された2軍落ち|球界群像 紀藤真琴#21
札幌でまさかの悪夢が……。元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)のプロ13年目、1996年は、好スタートを切りながら悔しい結果に終わった。その年の広島は…
キャンプ負傷→指揮官は激昂 復帰急かされ…全身に広がった痛み、“破壊”された防御率|球界群像 紀藤真琴#20
プロ11年目の1994年に16勝を挙げて赤ヘルの主力投手となった紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、そこから3年連続で2桁勝利をマークした。12年目の1995…
中日主砲が「全然、去年と違う」 半信半疑だった“大改造”…成功を確信したきっかけ|球界群像 紀藤真琴#19
元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ11年目の1994年にキャリアハイの16勝をマークし、先発投手としてブレークした。恩師の山本和行投手コーチ…
「お前なんか使えねぇ」…植え付けられたマイナス思考 「0-4-4-3-3-0-1」を変えた出会い|球界群像 紀藤真琴#18
広島監督に三村敏之氏が就任した1994年シーズン、紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は大きく飛躍した。プロ11年目の背番号11右腕は開幕当初こそリリーフだったが…
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