虎ファンが屈辱の言葉「心にグサッと」 わずか1登板の不振…傷ついた“ニセモノ扱い”|球界群像 中田良弘#15
グサリと響いた……。1992年の阪神はヤクルト、巨人と優勝を争った。最終的にはヤクルトにかわされ、巨人と同率2位に終わったが、若手の亀山努外野手&新庄剛志外野手の“亀新フィ…
虎ファンが屈辱の言葉「心にグサッと」 わずか1登板の不振…傷ついた“ニセモノ扱い”|球界群像 中田良弘#15
グサリと響いた……。1992年の阪神はヤクルト、巨人と優勝を争った。最終的にはヤクルトにかわされ、巨人と同率2位に終わったが、若手の亀山努外野手&新庄剛志外野手の“亀新フィ…
4年連続0勝で戦力外覚悟「クビになる」 崖っぷちの阪神右腕…1日で覚えた“新球”|球界群像 中田良弘#14
再び“低迷期”がやってきた。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)はプロ6年目の1986年から9年目の1989年までの4シーズン、1軍で1勝も挙げられなかった。阪神が優勝した…
酒臭い阪神ベンチ、寝不足でKOのドラ1 敗戦の祈り届かず…優勝翌日の“悲劇”|球界群像 中田良弘#13
1985年10月16日、阪神は21年ぶりにセ・リーグ優勝を成し遂げた。敵地・神宮球場でのヤクルト戦。延長10回5-5の引き分けで決まった。V戦士の1人である元阪神右腕の中田…
中日右腕に味わわせた“屈辱” 膝・肩・血行障害…満身創痍の阪神ドラ1が築いた不敗神話|球界群像 中田良弘#12
約4年、黒星がつかなかった。元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)はプロ1年目の1981年7月21日から5年目の1985年8月11日まで18連勝をマークした。その間に右膝痛、…
ドラ1の壊れていく右肩「痛いと言ったら終わり」 1人で隠れて治療…増え続けた“爆弾”|球界群像 中田良弘#11
怪我と付き合う日々だった。元阪神ドラフト1位右腕の中田良弘氏(野球評論家)のプロ生活は、1年目(1981年)に右肩を痛めて暗転した。2年目の1982年はわずか1登板で、3年…
阪神ドラ1に悲劇…いきなり酷使で「終わった」右肩 与えられなかった“猶予期間”|球界群像 中田良弘#10
「今思えば、あの時……」。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)はルーキーイヤーの1981年に38登板、6勝5敗8セーブ、防御率3.39の成績を残した。シーズン当初は先発がメ…
真夜中に聞こえた虎主砲の“唸り声” ドラ1衝撃のキャンプ…萎縮した同部屋の大エース|球界群像 中田良弘#9
違いに驚愕した。1980年ドラフト1位で阪神に入団した中田良弘氏(野球評論家)。1年目の春季キャンプは米アリゾナ州テンピで行われた。「自分にとって初めての海外でした」。即戦…
ドラ1指名も「報道陣が誰もいなかった」 知らなかった阪神人気…一変した“注目度”|球界群像 中田良弘#8
社会人野球・日産自動車の右腕・中田良弘投手(現野球評論家)は1980年ドラフト会議で阪神から1位指名を受けた。東海大・原辰徳内野手、プリンスホテル・石毛宏典内野手、横浜高・…
パ・リーグには「行きたくない」 ドラ1候補の“決意”…予期しなかった指名球団|球界群像 中田良弘#7
1980年ドラフト会議で阪神に1位指名された中田良弘氏(野球評論家)は1978年、亜細亜大を1年夏で中退した。アルバイトを経て入社した社会人野球・日産自動車で頭角を現し、プ…
亜大中退→プール監視員のバイト経てドラ1に 右膝は限界突破…人生を変えた1本の電話|球界群像 中田良弘#6
ゼロからの再出発だった。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)は1978年、亜細亜大1年夏に野球部を退部し、大学も中退して横浜市内の実家に戻った。しばらくブラブラした後、室内…
嫌だった亜大入り「きつかった」 数か月で野球部中退、阪神OBが味わった“地獄”|球界群像 中田良弘#5
自分には向いていなかった……。元阪神投手の中田良弘氏(野球評論家)は1978年、横浜高から亜細亜大学に進学した。社会人野球入りを希望していたが、亜大のセレクションに行くこと…
1年春から登板も“破壊”された右膝 「何回も辞めようと…」治らぬ怪我に溢れた涙|球界群像 中田良弘#4
阪神で先発でもリリーフでも活躍した右腕・中田良弘氏(野球評論家)は、横浜高時代に万全な状態で戦えなかった。1975年の高校1年夏の練習試合で右膝を故障。完治しないまま復帰し…
鉄拳当たり前、毎年出る“脱走者”「いい選手がやめる」 名門の理不尽な寮生活|球界群像 中田良弘#3
1985年の阪神V戦士右腕の中田良弘氏(野球評論家)は名門・横浜高出身だ。甲子園には出場できなかったものの「あの3年間は鍛えられました。あの時代があったからこそ、その後もや…
横浜高の名将がアポなし訪問 同級生の女子に呼び止められ…注目右腕を動かした“口説き”|球界群像 中田良弘#2
元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)は1975年、私立横浜高校に進学した。横浜市立平楽中学時代は3年夏にエースとして神奈川県大会に出場。球が速い右腕として注目され、多くの高…
転校で直面した“問題”「辞めていた可能性あった」 元阪神右腕を悩ませた暗黙のルール|球界群像 中田良弘#1
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の主演俳優ジョン・トラボルタ似の甘いマスク。1985年に12勝をマークした阪神V戦士右腕が中田良弘氏(野球評論家)だ。日産自動車からドラ…
山本由伸が18歳で見せた片鱗 星野伸之氏が“震えた”行動「自分がうまくなることだけ」|球界群像 星野伸之#25
NPB通算176勝を挙げた星野伸之氏は2002年の現役引退後、2006年から2009年まで阪神2軍投手コーチ、2010年から2017年まではオリックスで1軍投手コーチなどを…
ダッシュが原因で引退決断「もう終わりかな」 阪神から慰留も固辞…ボロボロだった体|球界群像 星野伸之#24
阪神の左腕・星野伸之投手(現野球評論家)は2002年シーズン限りで現役を引退した。阪急・オリックスで活躍し、FAで阪神に移籍して3年目。プロ19年目のシーズン中に決断した。…
阪神左腕に突然の異変「ぶっ倒れた」 偉業達成から2週間、夏にシーズン“終了”|球界群像 星野伸之#23
日本球界屈指の左腕だった星野伸之氏(野球評論家)は、プロ18年目の2001年8月1日のヤクルト戦(甲子園)で通算2000奪三振をマークした。当時はNPB史上17人目の偉業だ…
阪神移籍で感じた戸惑い メディアに苛立ち、溜まる“ストレス”「なんだこりゃ」|球界群像 星野伸之#22
人気球団の現実に驚いた。通算176勝左腕の星野伸之氏(野球評論家)は、プロ17年目の2000年シーズンから阪神タイガースの一員になった。オリックスからFA移籍しての新天地だ…
契約交渉でフロントに抱いた疑念…“消えた”昇給の約束 苦渋のFA行使「出ろってことですか」|球界群像 星野伸之#21
オリックスの左腕エース・星野伸之投手(現野球評論家)は1999年オフに阪神へFA移籍した。同年は26登板で11勝7敗、防御率3.85で、先発ローテーションの柱として活躍。「…
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