
予期せぬドラフト指名「君の名前を出した」 30年後に知った素人の“推薦”
野球評論家の柏原純一氏は、1970年のドラフト会議で南海に8位指名された。「指名してくれないかな、プロに入りたいなって願望はあったので、うれしかったですね。順位は何位でもよ…
PICKUPに関する野球ニュース・速報・コラムやインタビューの記事一覧。Full-Count(フルカウント)は野球専門の総合メディアです。
予期せぬドラフト指名「君の名前を出した」 30年後に知った素人の“推薦”
野球評論家の柏原純一氏は、1970年のドラフト会議で南海に8位指名された。「指名してくれないかな、プロに入りたいなって願望はあったので、うれしかったですね。順位は何位でもよ…
ファーム2冠の20歳が異例のコンバート 捕手挑戦にGM後押し…4連覇へオリが“大革命”
常勝軍団には、柔軟な発想と決断する勇気がある。オリックスの池田陵真外野手は、11月に高知で行われた秋季キャンプで大きな注目を集めていた。マスクを被り、プロテクターを装着し…
衝撃を受けた“1日8000人”「冗談だろ?」 鷹・和田毅が18年間社会貢献を続けるワケ
忘れられない衝撃を語った。18年間も続く活動、その動機の全てだ。ソフトバンクの和田毅投手が「HEROs AWARD 2023」を受賞。18日、都内での授賞式に参加する。「び…
せっかくの甲子園も…飛んだ試合の“記憶” 全て狂わせた悲劇「終わるまで空白」
念願の甲子園出場も、まさかの“悲劇”が待っていた。元日本ハムの主砲で野球評論家の柏原純一氏は1970年、八代東3年の春「第42回選抜高等学校野球大会」に出場した。開会式直後…
18歳の心えぐった過熱報道「人が嫌いになった」 入団拒否示唆…“不意打ちのドラ1”
16年間のプロ野球生活にピリオドを打ってから、1年が経った。ロッテ、中日でプレーした元投手の大嶺祐太氏。人生の行く先を大きく決めたのが、2006年の高校生ドラフトだった。…
立浪中日は「型がなさすぎる」 OBが見た現状…最下位脱出へ求められる“初志貫徹”
元中日外野手の彦野利勝氏は1998年の現役引退後、野球評論家として活動しながら、名古屋市瑞穂区で「彦野利勝バッティング教室」も開講し、野球と向き合い続けている。2012年…
大谷翔平、ハンク・アーロン賞を初受賞 日本人初の快挙で今オフ11冠フィニッシュ
メジャーリーグ機構(MLB)は16日(日本時間17日)、卓越した打者をファン投票などで選出するハンク・アーロン賞の受賞者を発表し、ア・リーグではエンゼルスでプレーした大谷翔…
“孤独”を救う美人妻に尽きぬ感謝 吉田正尚が告白…活躍しても「立場は逆転しない」
レッドソックスの吉田正尚外野手と、広島から今オフに国内FA権を行使してオリックスに移籍した西川龍馬外野手が16日、福井県敦賀市の市民文化センターにて「敦賀気比高OBアスリー…
先輩に引退勧告「やめてください」 奪ったボスの座…生意気だった新庄監督の師匠
現役時代は打力、守備力、走力すべてを兼ね備えた選手として活躍。指導者としても阪神・新庄剛志外野手(現日本ハム監督)らを育てたのが野球評論家の柏原純一氏だ。1970年ドラフト…
“韓国のイチロー”に屈辱の譲渡「半分やめろってこと」 拒否できず…申し出た現役引退
最後のシーズンは屈辱から始まった。1998年限りで中日・彦野利勝外野手(現・野球評論家)は現役を引退した。10月3日の最後の打席はショートゴロだった。子どもの頃、大ファンだ…
“0.1兆円”の契約は「まるで国家予算」 大谷翔平に予想される「想像を超える成績」
この冬、全野球ファンが注目していた大谷翔平投手の去就が決まった。大本命と見られていたドジャースと10年7億ドル(約1015億円)というプロスポーツ史上最高額で契約。今季まで…
守備練習しても「意味がない」 代打生活に“慢心”…突然の先発で悪夢の大怪我
何かが前年とは違っていた。野球評論家の彦野利勝氏は中日での現役時代を振り返るなかで、プロ13年目の1995年に関して首を傾げた。「もやもやっとしているうちに終わった年なんで…
英語で綴ったド軍への“謝罪の手紙” 高校生だった大谷翔平の思い…6年後に実った夢
自然と表情が緩む。ドジャース・大谷翔平投手は14日(日本時間15日)に行われた入団会見で、照れくさそうに17番ユニホームに袖を通した。ドジャース入りを決めたのは、自身のイン…
大谷翔平、ド軍入団会見で語った“全て” エ軍に「さみしさ」も…断った球団に配慮
大谷翔平投手が14日(日本時間15日)、ドジャースタジアムでドジャースの入団会見を行った。会見にはアンドリュー・フリードマン編成本部長らドジャース首脳陣、水原一平通訳、代理…
「怪我をしたら即引退」投げ続ける41歳 年俸3600万円でも…比嘉幹貴が明かす救援への覚悟
球界でこれだけ使い勝手のいい投手はいないだろう。ビハインド、ワンポイント、無死満塁での登板……。オリックスの比嘉幹貴投手は、与えられた登板機会で淡々と自らの仕事をこなす。B…
「とにかく対戦したくなかった」死球に怒り…最強助っ人が恐れた“174センチの右腕”
1990年代後半に日本球界を席巻した横浜ベイスターズ(現DeNA)の「マシンガン打線」で、「つなぐ4番」として中心を担ったロバート・ローズ氏(九州独立リーグ・火の国サラマン…
「全部ノーバンでストライクを」無茶苦茶すぎた監督 歴史的敗戦の直後…懇願した3選手
元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏はプロ12年目の1994年、118試合に出場して打率.284、6本塁打、49打点の成績を残した。オールスターゲーム出場、規定打席到達、カ…
Mattへ「好きなことをやっていい」 桑田2軍監督の子育て論…唯一“強制させたこと”
巨人・桑田真澄2軍監督は「子育て」もコーチングに生かしている。桑田2軍監督の次男はタレントとして活動するMatt。11月23日のファンフェスタ(東京ドーム)では親子共演を果…
「日本の球団からオファーがある」 動き出した時計…“最強助っ人”誕生の発端
「つなぐ4番」として1998年に打率.325、19本塁打、96打点をマークし横浜(現DeNA)の日本一に貢献するなど、ベイスターズ史上最強助っ人として今でもファンから愛され…
全身麻酔で無理やり曲げた膝「ペキっと」 高い代償を払ったHR…復帰までの壮絶な闘い
恐怖心との闘いでもあった。元中日の強打強肩の外野手で野球評論家の彦野利勝氏はプロ10年目の1992年シーズンから背番号を「57」から「8」に変更した。「ずっと欲しい番号だっ…
KEYWORD