唯一の“敬遠球HR”はなぜ生まれた? 42年前の奇跡…周到な計算と相手を欺いた餌撒き|球界群像 柏原純一#10
1981年7月19日、平和台球場で日本ハム・柏原純一内野手(現・野球評論家)は離れ業を演じた。西武・永射保投手が投じた敬遠球を何と左中間スタンドに運んだのだ。誰もが予想して…
唯一の“敬遠球HR”はなぜ生まれた? 42年前の奇跡…周到な計算と相手を欺いた餌撒き|球界群像 柏原純一#10
1981年7月19日、平和台球場で日本ハム・柏原純一内野手(現・野球評論家)は離れ業を演じた。西武・永射保投手が投じた敬遠球を何と左中間スタンドに運んだのだ。誰もが予想して…
銃撃で命を落とした“サモアの怪人” 「いい男だった」試合中にビール飲んだ豪傑助っ人|球界群像 柏原純一#9
現役時代、走攻守で活躍した野球評論家の柏原純一氏はプロ10年目の1980年シーズン、日本ハムで主に4番を務め、キャリアハイの34本塁打、96打点をマークした。1978年に南…
トレード拒否騒動の末の新天地 外様だらけのハムで飛躍…楽になった「ウチは寄せ集め」|球界群像 柏原純一#8
新天地で能力が開花した。1978年、南海・柏原純一内野手(現・野球評論家)は日本ハムに移籍した。一時は引退も辞さずのトレード拒否の構えだったが、恩師・野村克也氏に説得されて…
トレード通告に怒り「ロッテでなければ引退」 球界騒然…前代未聞の“立てこもり事件”|球界群像 柏原純一#7
野球評論家の柏原純一氏はプロ8年目の1978年シーズンから日本ハムでプレーした。そこからパ・リーグを代表する選手になっていくが、この移籍は“大騒動”の末のことだった。197…
夜中1時半…玄関前に立ってた野村監督 共同生活で監視下、フラフラだった25歳|球界群像 柏原純一#6
野球評論家の柏原純一氏にとって最大の恩師は南海時代の監督であった野村克也氏だ。大阪堺市中百舌鳥での個人面談から始まり、教えてもらったことは数え切れないほどある。プロ7年目の…
怠慢走塁に激怒「ちょっと来い」 出血も泥をつけてひた隠し…ドラ8がしがみついた1軍|球界群像 柏原純一#5
内野転向が転機になった。熊本・八代東時代、エースで4番だった野球評論家の柏原純一氏は、1970年ドラフト8位で南海に外野手として入団したが、2年目(1972年)に内野の練習…
ぼったくられて30倍超の支払い 殴り合い、窓から入ってくる先輩…18歳新人が浴びた洗礼|球界群像 柏原純一#4
プロ野球人生は“ぼったくり”からスタートした。野球評論家の柏原純一氏は1970年ドラフト8位で南海に入団した。新たな挑戦に気持ちも当然、高ぶったが、初めての“プロの世界”も…
予期せぬドラフト指名「君の名前を出した」 30年後に知った素人の“推薦”|球界群像 柏原純一#3
野球評論家の柏原純一氏は、1970年のドラフト会議で南海に8位指名された。「指名してくれないかな、プロに入りたいなって願望はあったので、うれしかったですね。順位は何位でもよ…
せっかくの甲子園も…飛んだ試合の“記憶” 全て狂わせた悲劇「終わるまで空白」|球界群像 柏原純一#2
念願の甲子園出場も、まさかの“悲劇”が待っていた。元日本ハムの主砲で野球評論家の柏原純一氏は1970年、八代東3年の春「第42回選抜高等学校野球大会」に出場した。開会式直後…
立浪中日は「型がなさすぎる」 OBが見た現状…最下位脱出へ求められる“初志貫徹”|球界群像 彦野利勝#16
元中日外野手の彦野利勝氏は1998年の現役引退後、野球評論家として活動しながら、名古屋市瑞穂区で「彦野利勝バッティング教室」も開講し、野球と向き合い続けている。2012年…
先輩に引退勧告「やめてください」 奪ったボスの座…生意気だった新庄監督の師匠|球界群像 柏原純一#1
現役時代は打力、守備力、走力すべてを兼ね備えた選手として活躍。指導者としても阪神・新庄剛志外野手(現日本ハム監督)らを育てたのが野球評論家の柏原純一氏だ。1970年ドラフト…
“韓国のイチロー”に屈辱の譲渡「半分やめろってこと」 拒否できず…申し出た現役引退|球界群像 彦野利勝#15
最後のシーズンは屈辱から始まった。1998年限りで中日・彦野利勝外野手(現・野球評論家)は現役を引退した。10月3日の最後の打席はショートゴロだった。子どもの頃、大ファンだ…
守備練習しても「意味がない」 代打生活に“慢心”…突然の先発で悪夢の大怪我|球界群像 彦野利勝#14
何かが前年とは違っていた。野球評論家の彦野利勝氏は中日での現役時代を振り返るなかで、プロ13年目の1995年に関して首を傾げた。「もやもやっとしているうちに終わった年なんで…
「全部ノーバンでストライクを」無茶苦茶すぎた監督 歴史的敗戦の直後…懇願した3選手|球界群像 彦野利勝#13
元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏はプロ12年目の1994年、118試合に出場して打率.284、6本塁打、49打点の成績を残した。オールスターゲーム出場、規定打席到達、カ…
全身麻酔で無理やり曲げた膝「ペキっと」 高い代償を払ったHR…復帰までの壮絶な闘い|球界群像 彦野利勝#12
恐怖心との闘いでもあった。元中日の強打強肩の外野手で野球評論家の彦野利勝氏はプロ10年目の1992年シーズンから背番号を「57」から「8」に変更した。「ずっと欲しい番号だっ…
動かない足「地面がなくなった」 歓喜のはずが一転「おかしい」…選手生命の危機|球界群像 彦野利勝#11
「急に地面がなくなったような感じがした」。元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏は1991年6月18日の大洋戦(ナゴヤ球場)で大怪我を負った。延長10回にサヨナラホームランを…
「好きにやれ」3冠王も呆れた“常識外れ” 理屈を説明できず…バットに縛った両手|球界群像 彦野利勝#10
中日での現役時代、強打の1番打者として活躍した野球評論家の彦野利勝氏は変則的な打ち方でも知られていた。打つ時にバットを持つ右手と左手の間が離れていたことだ。いったいなぜ、そ…
1試合2発も「キレられた」 一発量産で“色気”…狂った打撃「もう直せなかった」|球界群像 彦野利勝#9
目指したのは1985年の阪神・真弓明信外野手だった。元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏はプロ7年目の1989年、キャリアハイの26本塁打を放った。チームは3位に終わったも…
恩師の一言が生んだ覚醒「お前、わかってるやろな」 報道陣も驚いた異例の“罰則”|球界群像 彦野利勝#8
名参謀・島野育夫氏。闘将・星野仙一氏との最強コンビは有名すぎるが、元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏にとっても大恩人だ。「僕の担当コーチでしたからね」。1987年から19…
「人生終わった」母に失意の報告も メディアに反論した指揮官…いきなり渡されたガム|球界群像 彦野利勝#7
プロでの生き残りをかけた闘いは熾烈だ。元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏は5年目の1987年、先輩選手の怪我でチャンスをつかんだ。「あれがなかったら、僕はそのままクビにな…
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