野球人生を左右する「野手転向」 西武川越らはブレークなるか…過去の成功例から探る
阪神糸井は屈指の安打製造機として長年に渡り活躍
次に紹介する2名は、野手転向後3年目でレギュラー定着を果たした選手たちだ。それぞれの成績は以下の通り。
○愛甲猛氏(元ロッテ、中日)
【1983年】
48試合 0勝0敗 24.2回 16奪三振 防御率4.38
【1984年】
2試合 6打数0安打 0本塁打0打点 0盗塁 0犠打 打率.000
【1985年】
40試合 59打数18安打 2本塁打8打点 0盗塁 0犠打 打率.305
【1986年】
108試合 268打数71安打 7本塁打26打点 4盗塁 8犠打 打率.265
【通算成績】
1532試合 4244打数1142安打 108本塁打513打点 52盗塁 64犠打 打率.269
○糸井嘉男外野手(阪神)
【2006年〕
投打ともに1軍出場なし
【2007年】
7試合 11打数1安打 0本塁打0打点 1盗塁 0犠打 打率.091
【2008年】
63試合 188打数45安打 5本塁打21打点 13盗塁 5犠打 打率.239
【2009年】
131試合 425打数130安打 15本塁打58打点 24盗塁 18犠打 打率.306
【通算成績】
1502試合 5381打数1624安打 163本塁打697打点 297盗塁 45犠打 打率.302
愛甲氏は野手転向前年の83年に1軍で左のリリーフとして48試合に登板しているが、そのタイミングで決断した野手への転向が吉と出た選手だ。横浜高時代にエースとして甲子園で全国優勝を経験し、ドラフト1位でロッテへ入団したが、1勝も記録できなかった。しかし、野手転向後は88年途中から92年にかけて535試合連続フルイニング出場を達成し、89年にはゴールデングラブ賞も受賞。中心選手として長きにわたって活躍した。
糸井も近畿大時代にエースとして活躍し、自由獲得枠で日本ハムに入団するなど投手としての評価は高かった。しかし、プロ入りから2年続けて1軍での登板は果たせず、3年目の06年途中に野手にコンバート。08年には開幕戦のスタメンに抜擢されると、翌09年にはレギュラーに定着して打率.306をマーク。この年から6年連続で打率.300以上を記録し、現在に至るまで球界屈指の好打者として活躍を続けている。