「親父の遺言みたいなもの」プロから社会人の異色の経歴を持つ苦労人・細山田の夢
入社1年目に目標だった都市対抗優勝「いつ辞めても良かったなと思えるように」
個人として掲げた目標は都市対抗野球優勝。当時、トヨタ自動車は日本選手権では4度優勝していたが、都市対抗野球では1度も優勝していなかった。会社としても、東京五輪が行われる2020年までに都市対抗で優勝することが目標だった。
「チームには若い捕手しかいなかったので、最初は自分が日本一に導こうという意識が強かった。プロではレギュラー捕手ではなかったし、ケガしてもプロならほかにもいい選手がいるが、ここではケガしちゃいけないし、勝たなきゃいけない。責任を感じたし、重要なポジションだなと思った。必死に自分のことをやりつつ、プロの経験、体験、技術的なことを後輩にも教えました」
横浜時代には1軍でスタメンマスクを被り、ソフトバンクでは育成選手として高卒ルーキーらに交ざって3軍の試合にも出場。プロの世界では酸いも甘いも味わった。そんな幅広い経験が、逆に社会人で役に立った。
「横浜の時は(絶対的な)捕手もいなかったし、自分で勝ち取ったというよりは、出させてもらっていた。結局、結果を出せなかったのが事実。現実は甘くなかった。いけると思ったりもしたけど、周りのレベルが高くて落ち込んだこともあったし、いろんな経験ができた。考え方の幅が広がった。横浜の時はイケイケで、俺やるぜっていう感じだったが、それではうまくいかなかった。今は頭の中も精神的にも一番いいんじゃないかなと思います」
そして、入社1年目で早速、目標であった都市対抗野球優勝を実現した。日立製作所との決勝では、細山田は無四球、11奪三振で9回を1人で投げ切った先発佐竹を好リード。4-0で完封勝利を収め、歓喜の輪の中心で雄叫びをあげた。「源田壮亮(西武)、藤岡裕大(現ロッテ)もいて、粒も揃っていた。ラッキーでした。個人的な目標は達成したので、これでいつ辞めてもいいと思った」。
だが、細山田は翌年以降も現役を続け、翌2017年には日本選手権でも優勝した。ベテランの域にさしかかり、昨年からは将来を見据えて若手捕手を育成するというチーム方針もあって、先発マスクを後輩に譲ることが増えたが、それでも、少ない出番で結果を残す勝負強さは変わらない。都市対抗野球で準優勝した昨年は、JFE東日本との決勝で同点弾。試合には敗れたが、元プロとしての頼もしさは健在だった。
「野球をやらせてもらっている以上、やるのが当たり前。自分のため、チームの勝利に貢献するためにやるのが当たり前という感覚なんです。いつもちゃんとやっていこうと思っているので、出番によってモチベーションが上がるとか下がるとかはない。いつ辞めても良かったなと思えるように頑張っています」
藤原航平監督からは「困った時の細山田」として頼りにされている。出番が減っても、チームの状況を理解し、文句1つ言うことなく、控え捕手としてブルペンでその役割を明るくこなす。
「信頼されていると思うので、正直ありがたいと感じています。チームに求められているし『困ったらホソ行ってくれ』と言われている。後輩が困った時、ダメだった時に先輩がケツを拭くのは当たり前。出番が少ないから結果出せませんでしたという言い訳はしたくない。任せられたところでしっかりやらないといけない」