伝説の剛腕が“二刀流”で選手育成 究極の夢は教え子の中日入り「それが一番の理想」
上原晃 ニュース・速報
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伝説の右腕が受けた3年連続戦力外 “再生工場”でチャンスも…運に見放された最終年
やれることはすべてやったが……。現在は整体師として活躍し、東海学園大で投手コーチを務める上原晃氏は、沖縄水産からドラフト3位で中日入り。ルーキーイヤーの1988年はシーズン…
指の異変「治らない、おかしい」 手術で完治のはずが…一気に“暗転”した苛酷な運命
まさかの故障発覚だった。元中日投手・上原晃氏の野球人生を暗転させたのは1992年、プロ5年目の夏だった。「血マメができても、回復しないので、トレーナーに相談して病院に行った…
初回から肩を作って登板は8、9回 キャリアハイも後に“影響”…過酷だったリリーフ業
元中日投手の上原晃氏が挙げたキャリアハイの勝ち星は、プロ4年目1991年の8勝だ。2年目から先発に転向したが、この年は1年目のようにリリーフで結果を出した。星野仙一監督が退…
念願の先発も「いい思い出がない」 追い込み続けた20歳剛腕…“方向転換”が呼んだ炎上
元中日投手の上原晃氏は1988年のルーキーイヤーにリリーフ投手として、チームをリーグ優勝に導いてブレークしたが、2年目の1989年は5月下旬から先発に転向した。「星野(仙一…
若き日の立浪監督から夜な夜な「やってくれ」 引退後の人生支えたキャンプの“日課”
高卒1年目の1988年シーズン後半に1軍昇格。リリーフ投手として星野中日の優勝に貢献した上原晃氏は、沖縄水産から1987年ドラフト3位で入団した。同期のドラフト1位は立浪和…
「わかっていたのに」投げた変化球 高卒1年目で流した涙…35年後も悔やむ痛恨被弾
悔しくて泣いた……。元中日投手の上原晃氏は1988年、入団1年目の後半に1軍昇格。セットアッパー的な存在で、ドラゴンズのセ・リーグ制覇に大きく貢献したが、西武に1勝4敗で敗…
甲子園4度出場の剛腕を“強行指名” 進学希望から一転…ドラフト当日は「記憶がない」
沖縄水産高校で4度、甲子園に出場し「沖縄の星」と呼ばれた上原晃氏は、1987年11月18日のドラフト会議で中日から3位指名を受けたが、その日のことは「そんなに記憶がない」と…
沖縄が生んだもう1人の剛腕…甲子園4度出場も「彼がいたら」 叶わなかった幻の“競演”
あのピッチャーがライバル校にいたら……。東海学園大投手コーチであり、整体師でもある上原晃氏(元中日、広島、ヤクルト)は沖縄水産時代に4度甲子園に出場した。最高は2年夏の8強…
甲子園で2年連続の“屈辱”に「ふがいない」 37年前の悪夢…打ち砕かれた自信
2年連続屈辱の夏だった。元中日投手の上原晃氏は沖縄水産の2年生エースとして、1986年の夏の甲子園のマウンドに上がった。1年の夏はサヨナラ暴投で涙したが「スライダーもしっか…
ぶっ倒れながら3連投 忘れられぬ決死の大会…ボロボロの高2右腕が感謝した“魔法の薬”
元中日投手の上原晃氏は沖縄水産高校2年時の1986年、エースとして春夏連続で甲子園に出場した。1年夏の甲子園での鹿児島商工(鹿児島=現・樟南)との3回戦で痛恨のサヨナラ暴投…
「土を持って帰るな」 先輩から厳命…聖地で“悪夢”体験、16歳で「もうボロボロ」
「沖縄の星」と呼ばれた。元中日右腕の上原晃氏は沖縄水産で1年夏、2年春、夏、3年夏と計4度甲子園に出場した。技術は年々レベルアップ。「あの当時、沖縄も大盛り上がりで、大臣が…
利き腕でないのに遠投50m 目標は漫画の主人公…元プロ右腕が本気になったサウスポー転向
仰天の過去があった。整体師で東海学園大投手コーチの上原晃氏はかつて中日で活躍した伝説の右腕だが、その原点のひとつに野球漫画の影響があったという。「漫画の主人公みたいになりた…
米国留学を直訴も却下… 高卒即活躍の“順風満帆”で消えた夢のメジャー挑戦
元中日投手で1988年の優勝に貢献するなど活躍した上原晃氏は子どもの頃から「メジャーリーグで投げたい」との夢を持っていた。「球が速くて、三振が取れるピッチャーが好きだった」…
落合博満が“予言”した活躍 高卒1年目でブレーク…「不敗神話」作った伝説の右腕
あの3冠男・落合博満氏が活躍を“予言”したスーパー右腕だった。19歳で「優勝への使者」と言われた。全身を使ったダイナミックな投球フォームで打者をなで斬った。元中日の剛腕・上…
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