イチローの反対で消えた幻の登録名 周囲を納得させた本質の一言「俺は鈴木だから…」|球界群像 葛城育郎#8
逆指名制度を利用して立命館大から1999年のドラフト2位でオリックス入りした葛城育郎外野手(現、株式会社葛城代表取締役、報徳学園コーチ)への期待は大きかった。当時、将来のメ…
イチローの反対で消えた幻の登録名 周囲を納得させた本質の一言「俺は鈴木だから…」|球界群像 葛城育郎#8
逆指名制度を利用して立命館大から1999年のドラフト2位でオリックス入りした葛城育郎外野手(現、株式会社葛城代表取締役、報徳学園コーチ)への期待は大きかった。当時、将来のメ…
プロに無欲も…名将が即決「すぐ獲れ」 「頑張れば下位」から半年で急転した野球人生|球界群像 葛城育郎#7
1999年、立命館大のキャプテンで主砲の葛城育郎外野手(現・株式会社葛城代表取締役、報徳学園コーチ)はドラフト2位でオリックスに入団した。当時は、大学、社会人のドラフト候補…
辞めるのは監督か選手か…強豪大学で起きた“クーデター” 学年全員で抗議の仰天行動|球界群像 葛城育郎#6
かつてオリックス、阪神でプレーした葛城育郎氏(株式会社葛城代表取締役、報徳学園コーチ)は立命館大に投手として評価されて入学したが、左肩を故障。手術し、野球人生が変わった。「…
大学が決まるも深刻な事態 「勝手に手術しやがって」怒る監督…まさかの野球人生危機|球界群像 葛城育郎#5
大試練だった。元オリックス、阪神の葛城育郎氏は立命館大入学前に左肩を手術した。岡山・倉敷商3年だった1995年8月に立命大のセレクションを投手として受け、思い切り投げて痛め…
落ちたら野球人生終了…決死の覚悟で“全力投球” 見事合格も上がらなくなった肩|球界群像 葛城育郎#4
オリックスと阪神で活躍した葛城育郎氏は、岡山・倉敷商から立命館大に進学した。当初は野球をやめて、就職するつもりだったが「親と進路の話をした時に大学に行ってくれってなった」。…
試合中にまさかの“座り込み”「しんどくて…」 元虎戦士が「燃え尽きた」高3の夏|球界群像 葛城育郎#3
涙、試練、ライバル……。元オリックス、阪神の強打者・葛城育郎氏は岡山・倉敷商時代、目標の甲子園にたどり着くことはできなかった。最高が1年(1993年)秋と2年(1994年)…
猛練習も…プロ野球に興味なし「高校に行かないと」 元虎戦士が野球を始めた理由|球界群像 葛城育郎#2
オリックス、阪神で左の強打者として活躍した葛城育郎氏(株式会社葛城代表取締役、報徳学園コーチ)は倉敷商、立命館大を経て、逆指名制度を使って1999年ドラフト2位でオリックス…
史上初? 試合に出ていないのにお立ち台 甲子園大爆笑…「伝説」と化した“雄叫び”|球界群像 葛城育郎#1
「ウォーーー」。甲子園球場に響き渡った雄叫びが代名詞でもあったのが、葛城育郎氏(元オリックス、阪神)だ。逆指名制度を使って1999年ドラフト2位で立命館大からオリックスに入…
伝説の剛腕が“二刀流”で選手育成 究極の夢は教え子の中日入り「それが一番の理想」|球界群像 上原晃#15
究極の夢は古巣にいいピッチャーを送り込むこと。上原晃氏(元中日、広島、ヤクルト)は現在、整体師と東海学園大投手コーチの二足のわらじを履く。沖縄水産で学んだ栽弘義監督の野球、…
伝説の右腕が受けた3年連続戦力外 “再生工場”でチャンスも…運に見放された最終年|球界群像 上原晃#14
やれることはすべてやったが……。現在は整体師として活躍し、東海学園大で投手コーチを務める上原晃氏は、沖縄水産からドラフト3位で中日入り。ルーキーイヤーの1988年はシーズン…
指の異変「治らない、おかしい」 手術で完治のはずが…一気に“暗転”した苛酷な運命|球界群像 上原晃#13
まさかの故障発覚だった。元中日投手・上原晃氏の野球人生を暗転させたのは1992年、プロ5年目の夏だった。「血マメができても、回復しないので、トレーナーに相談して病院に行った…
初回から肩を作って登板は8、9回 キャリアハイも後に“影響”…過酷だったリリーフ業|球界群像 上原晃#12
元中日投手の上原晃氏が挙げたキャリアハイの勝ち星は、プロ4年目1991年の8勝だ。2年目から先発に転向したが、この年は1年目のようにリリーフで結果を出した。星野仙一監督が退…
念願の先発も「いい思い出がない」 追い込み続けた20歳剛腕…“方向転換”が呼んだ炎上|球界群像 上原晃#11
元中日投手の上原晃氏は1988年のルーキーイヤーにリリーフ投手として、チームをリーグ優勝に導いてブレークしたが、2年目の1989年は5月下旬から先発に転向した。「星野(仙一…
若き日の立浪監督から夜な夜な「やってくれ」 引退後の人生支えたキャンプの“日課”|球界群像 上原晃#10
高卒1年目の1988年シーズン後半に1軍昇格。リリーフ投手として星野中日の優勝に貢献した上原晃氏は、沖縄水産から1987年ドラフト3位で入団した。同期のドラフト1位は立浪和…
「わかっていたのに」投げた変化球 高卒1年目で流した涙…35年後も悔やむ痛恨被弾|球界群像 上原晃#9
悔しくて泣いた……。元中日投手の上原晃氏は1988年、入団1年目の後半に1軍昇格。セットアッパー的な存在で、ドラゴンズのセ・リーグ制覇に大きく貢献したが、西武に1勝4敗で敗…
甲子園4度出場の剛腕を“強行指名” 進学希望から一転…ドラフト当日は「記憶がない」|球界群像 上原晃#8
沖縄水産高校で4度、甲子園に出場し「沖縄の星」と呼ばれた上原晃氏は、1987年11月18日のドラフト会議で中日から3位指名を受けたが、その日のことは「そんなに記憶がない」と…
沖縄が生んだもう1人の剛腕…甲子園4度出場も「彼がいたら」 叶わなかった幻の“競演”|球界群像 上原晃#7
あのピッチャーがライバル校にいたら……。東海学園大投手コーチであり、整体師でもある上原晃氏(元中日、広島、ヤクルト)は沖縄水産時代に4度甲子園に出場した。最高は2年夏の8強…
甲子園で2年連続の“屈辱”に「ふがいない」 37年前の悪夢…打ち砕かれた自信|球界群像 上原晃#6
2年連続屈辱の夏だった。元中日投手の上原晃氏は沖縄水産の2年生エースとして、1986年の夏の甲子園のマウンドに上がった。1年の夏はサヨナラ暴投で涙したが「スライダーもしっか…
ぶっ倒れながら3連投 忘れられぬ決死の大会…ボロボロの高2右腕が感謝した“魔法の薬”|球界群像 上原晃#5
元中日投手の上原晃氏は沖縄水産高校2年時の1986年、エースとして春夏連続で甲子園に出場した。1年夏の甲子園での鹿児島商工(鹿児島=現・樟南)との3回戦で痛恨のサヨナラ暴投…
「土を持って帰るな」 先輩から厳命…聖地で“悪夢”体験、16歳で「もうボロボロ」|球界群像 上原晃#4
「沖縄の星」と呼ばれた。元中日右腕の上原晃氏は沖縄水産で1年夏、2年春、夏、3年夏と計4度甲子園に出場した。技術は年々レベルアップ。「あの当時、沖縄も大盛り上がりで、大臣が…
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