「化けたいんです」G.G.佐藤氏を“ムキムキ”に…オリ杉本も指導、成功者の共通点は?

法大時代は元広島・廣瀬氏、元西武・G.G.佐藤氏らにアドバイス

 家庭の事情もあって日大藤沢高を中退して米国に渡った後、法大に入学した。この時、根鈴さんの打撃理論やトレーニングに強い関心を示したチームメートが、法大から逆指名で広島に入団し、現在は広島で2軍打撃コーチを務める廣瀬純さんだった。当時は珍しかったウエートトレーニングを積極的に取り入れ、根鈴さんが考案したメニューで筋力を鍛えた。廣瀬さんは3年時の1999年春季リーグで3冠王を獲得している。

 この頃から根鈴さんにアドバイスを求めるチームメートは多く、仲間内では「根鈴道場」と呼ばれていた。廣瀬さんの姿を見て、根鈴さんに師事した熱心な門下生が、西武やロッテでプレーしたG.G.佐藤さんだった。現役時代は体重105キロを切ることはなかったというG.G.佐藤さんは法大3年春まで78キロで「カリンコリンのキャラ」だったという。当時は遊撃手で、同級生にはオリックスなどでプレーし、現在は西武の2軍内野守備・走塁コーチの阿部真宏がいたため出場機会がなかった。

 G.G.佐藤さんは「化けたいんです」と根鈴さんに教えを求めた。二人三脚で肉体改造に取り組み、3年秋には体重が95キロまで増えた。筋力がついて打球の飛距離がアップ。大学卒業後、米国のマイナーリーグでプレーしていた頃も、西武に入団してからも、ウエートトレーニングを続けた。時には、西武の本拠地でナイターが終わってから神奈川に住む根鈴さんを訪ねて一緒にトレーニングした。根鈴さんはG.G.佐藤さんがプロ野球選手になれた理由を、こう話す。

「短期間でものを見る人は成功できないと思います。何かを大きく変えるには覚悟と継続が必要です」

 G.G.佐藤さんは大学3年春まで、スピードを武器にしていた。体重を増やしても50メートル走のタイムは大きく変わらなかったが、瞬発的な動きは遅くなった。20キロ近く体重が増加すれば、ごく自然なことだろう。その分、パワーを手に入れた。根鈴さんは言う。

「ウエートトレーニングで体が重くなって動けなくなるのは通過点なんです。今まで体重78キロで野球をやってきて半年で95キロまで増えたら、脳は追いつけません。1回落ち込んでからが勝負です。継続して訓練し、脳も体も整えていくことでパフォーマンスアップにつながります。人間はやればできるとG.G.が証明してくれたと思っています」

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