ロッテの「ゴールデンイヤー」再び! Aクラス率80%を誇る千葉移転後の“5年周期”

2000年はリーグ5位に低迷…

○2000年(62勝67敗6分:リーグ5位)

 ロッテが5年周期で好調期を迎えているのは先述の通りだが、その中でも2000年はやや例外的なシーズンに。先述した低迷期のさなかにあったチームはこのシーズンも苦戦を続け、“5年周期”の中では千葉移転後唯一のBクラスとなる5位に終わっている。

 投手陣では先発陣の大黒柱の一人だった小宮山悟氏が退団し、エースの黒木知宏氏は10勝を挙げたものの、故障の影響もあって防御率5.18という不本意な数字に終わった。そんな中で、大ブレイクを見せたのが小野晋吾氏だった。日曜日の登板で好投を続けたことから、OBの村田兆治氏になぞらえて「サンデー晋吾」の異名を取り、リーグ2位となる防御率3.45という好成績を記録。13勝5敗と多くの白星を積み上げ、最高勝率のタイトルにも輝いた。

 リリーフ陣ではプロ3年目の左腕・藤田宗一氏が、防御率4.27ながら自己最多の70試合に登板し、最多ホールドのタイトルを獲得。プロ2年目の小林雅英氏も1年間で先発、中継ぎ、抑えの全てを経験する目まぐるしいシーズンを過ごしたが、65試合で109.2回を投げ、11勝6敗14セーブ、防御率2.13という大車輪の活躍を見せた。このように、5年後の「YFK」の軸となる2人にとっても、意義深いシーズンとなっていたといえよう。

 野手では前年に入団したスイッチヒッターのフランク・ボーリック氏が4番として躍動し、打率.296、29本塁打、102打点、OPS1.000と大活躍。当時はホームランラグーンが存在せず、千葉マリンスタジアムは長打の出にくい球場だったことを考えると、両打ちでこれだけの数字を残したボーリック氏の打棒は特筆ものだ。この年のオールスターにもファン投票で選出されるなど、当時のファンからも熱烈な支持を受けた優良助っ人だった。

 また、「ミスターロッテ」初芝清氏も打率.276、23本塁打、73打点、OPS.872と、主砲として十分な働きを見せたが、この2人以外に2桁本塁打を放ったのは石井浩郎氏(10本)のみと、打線はやや小粒な面が否めなかった。それでも、福浦和也氏、サブロー(大村三郎)氏、大塚明氏、橋本将氏といった、2005年のリーグ優勝・日本一を支えたメンバーが台頭を見せ始めており、未来に向けた種はこの段階から少しずつ撒かれ始めていた。

2005年はバレンタイン政権復活で西岡、今江ら台頭しリーグ優勝・日本一

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