「わかっていたのに」投げた変化球 高卒1年目で流した涙…35年後も悔やむ痛恨被弾|球界群像 上原晃#9
悔しくて泣いた……。元中日投手の上原晃氏は1988年、入団1年目の後半に1軍昇格。セットアッパー的な存在で、ドラゴンズのセ・リーグ制覇に大きく貢献したが、西武に1勝4敗で敗…
「わかっていたのに」投げた変化球 高卒1年目で流した涙…35年後も悔やむ痛恨被弾|球界群像 上原晃#9
悔しくて泣いた……。元中日投手の上原晃氏は1988年、入団1年目の後半に1軍昇格。セットアッパー的な存在で、ドラゴンズのセ・リーグ制覇に大きく貢献したが、西武に1勝4敗で敗…
甲子園4度出場の剛腕を“強行指名” 進学希望から一転…ドラフト当日は「記憶がない」|球界群像 上原晃#8
沖縄水産高校で4度、甲子園に出場し「沖縄の星」と呼ばれた上原晃氏は、1987年11月18日のドラフト会議で中日から3位指名を受けたが、その日のことは「そんなに記憶がない」と…
沖縄が生んだもう1人の剛腕…甲子園4度出場も「彼がいたら」 叶わなかった幻の“競演”|球界群像 上原晃#7
あのピッチャーがライバル校にいたら……。東海学園大投手コーチであり、整体師でもある上原晃氏(元中日、広島、ヤクルト)は沖縄水産時代に4度甲子園に出場した。最高は2年夏の8強…
甲子園で2年連続の“屈辱”に「ふがいない」 37年前の悪夢…打ち砕かれた自信|球界群像 上原晃#6
2年連続屈辱の夏だった。元中日投手の上原晃氏は沖縄水産の2年生エースとして、1986年の夏の甲子園のマウンドに上がった。1年の夏はサヨナラ暴投で涙したが「スライダーもしっか…
ぶっ倒れながら3連投 忘れられぬ決死の大会…ボロボロの高2右腕が感謝した“魔法の薬”|球界群像 上原晃#5
元中日投手の上原晃氏は沖縄水産高校2年時の1986年、エースとして春夏連続で甲子園に出場した。1年夏の甲子園での鹿児島商工(鹿児島=現・樟南)との3回戦で痛恨のサヨナラ暴投…
「土を持って帰るな」 先輩から厳命…聖地で“悪夢”体験、16歳で「もうボロボロ」|球界群像 上原晃#4
「沖縄の星」と呼ばれた。元中日右腕の上原晃氏は沖縄水産で1年夏、2年春、夏、3年夏と計4度甲子園に出場した。技術は年々レベルアップ。「あの当時、沖縄も大盛り上がりで、大臣が…
利き腕でないのに遠投50m 目標は漫画の主人公…元プロ右腕が本気になったサウスポー転向|球界群像 上原晃#3
仰天の過去があった。整体師で東海学園大投手コーチの上原晃氏はかつて中日で活躍した伝説の右腕だが、その原点のひとつに野球漫画の影響があったという。「漫画の主人公みたいになりた…
米国留学を直訴も却下… 高卒即活躍の“順風満帆”で消えた夢のメジャー挑戦|球界群像 上原晃#2
元中日投手で1988年の優勝に貢献するなど活躍した上原晃氏は子どもの頃から「メジャーリーグで投げたい」との夢を持っていた。「球が速くて、三振が取れるピッチャーが好きだった」…
落合博満が“予言”した活躍 高卒1年目でブレーク…「不敗神話」作った伝説の右腕|球界群像 上原晃#1
あの3冠男・落合博満氏が活躍を“予言”したスーパー右腕だった。19歳で「優勝への使者」と言われた。全身を使ったダイナミックな投球フォームで打者をなで斬った。元中日の剛腕・上…
中日OBが危惧する「気が抜けたようなプレー」 低迷打開へ…望む“ドーム改造”|球界群像 川又米利#15
元中日で野球評論家の川又米利氏は現役引退後、古巣の打撃コーチを2002年から2004年、2012年から2013年の計5年務めた。1軍担当は山田久志監督時代の2003年だけで…
引退試合を固辞「狙わせてください」 プロ人生最後の“わがまま”…トップをかけた5番勝負|球界群像 川又米利#14
最後は“5番勝負”に挑んだ。元中日で野球評論家の川又米利氏は1997年シーズン限りで現役生活を終えた。ドラゴンズ一筋19年。1988年のリーグ優勝に貢献するなど、球団にとっ…
無安打地獄で「もう参りそう」 心折れかけた“1打席勝負”…救ったのは「やっぱり葛西」|球界群像 川又米利#13
星野仙一氏が中日監督に復帰したのは1996年シーズン。闘将の第2次政権が始まった。元中日で野球評論家の川又米利氏は当時、プロ18年目。この年から代打オンリーで勝負することに…
伝説の「10・8」決戦後にあったドラマ 選手が監督に“続投”直訴も…悪夢の転落劇|球界群像 川又米利#12
あれで良かったのか、悪かったのか……。元中日の川又米利氏(野球評論家)は1992年から3シーズン、中日の選手会長を務めた。その間での一番の思い出は巨人・長嶋茂雄監督が「国民…
大一番で股間を抜けた打球「やっちゃった」 鬼の形相の指揮官が…意気に感じた“温情”|球界群像 川又米利#11
よく怒られたけど……。元中日で野球評論家の川又米利氏の野球人生において欠かせない人物は、何といっても星野仙一氏だ。その現役時代からお世話になり、監督と選手の関係になってから…
悪夢の連敗でバスが「お通夜みたい」 空港から直行…”真夏の方針転換”に「勘弁して」|球界群像 川又米利#10
野球評論家の川又米利氏は中日での19年間の現役生活では、祝勝会でのビールかけを経験していない。中日は1982年と1988年にリーグ優勝を成し遂げたが、1回目は優勝決定直前に…
殊勲打なのに顔面蒼白 「打たなければよかった」…ベンチも怒り心頭の“衝撃大失敗”|球界群像 川又米利#9
どやされて、どやされて、どやされて……。元中日の川又米利氏(野球評論家)は星野仙一監督に何度も怒られたという。実際“やらかしプレー”も多く、土壇場の9回裏に同点タイムリーを…
ラフプレーに激高も…一瞬で形勢逆転した赤ヘル軍団 “殺気”に満ちた因縁対決|球界群像 川又米利#8
1987年シーズンから燃える男が、闘将となって中日に帰ってきた。川又米利氏(元中日、現野球評論家)にとって最大、最強の恩師・星野仙一監督の下での“闘い”の日々のスタートだ。…
不動のレギュラーがまさかの電撃移籍 7人の“大激戦”抜け出した大投手からの一発|球界群像 川又米利#7
ついに1軍定着の扉をこじ開けた。元中日の川又米利氏(野球評論家)は、プロ7年目の1985年シーズンで初めて規定打席に到達した。122試合に出場し、打率.290、9本塁打、4…
19歳でプロ人生暗転「腰がぶっ飛んだ」 ちらつく戦力外…打撃見失った“地獄の日々”|球界群像 川又米利#6
1軍の壁にブチ当たった。元中日の川又米利氏(野球評論家)は、高卒1年目の1979年シーズンを5月以降、最後まで1軍で過ごした。打撃に関してはそれなりの自信もあったが、ナゴヤ…
監督の交代指示も「納得できない」 若手は直立不動…無茶苦茶なエースの“反抗”|球界群像 川又米利#5
燃える男の猛烈アクションに震えた。野球評論家の川又米利氏は、早稲田実から1978年ドラフト外で中日入りした。1979年の1年目は5月に1軍昇格。46試合で打率.277(47…
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