“大台目前”でレギュラー剥奪…指揮官が「もう使わん」 へそ曲げて後悔した絶頂期|球界群像 長内孝#8
元広島の強打者・長内孝氏が現役時代にキャリアハイの成績を残したのは、11年目の1986年シーズンだった。118試合に出場して19本塁打、58打点。打率は.254だったが、初…
“大台目前”でレギュラー剥奪…指揮官が「もう使わん」 へそ曲げて後悔した絶頂期|球界群像 長内孝#8
元広島の強打者・長内孝氏が現役時代にキャリアハイの成績を残したのは、11年目の1986年シーズンだった。118試合に出場して19本塁打、58打点。打率は.254だったが、初…
ブレークから一転…調子に乗って“低迷” ライバル出現で定位置失う「大失敗シーズン」|球界群像 長内孝#7
調子に乗って失敗した。元広島の強打者で「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナー・長内孝氏は自身の現役時代を苦笑しながら振り返った。プロ8年…
緊張感MAXで「パッと頭に浮かんだ」金言 「力が抜けた」飛躍に繋がったサヨナラ弾|球界群像 長内孝#6
元広島の強打者、長内孝氏が飛躍したのはプロ8年目の1983年シーズンだった。117試合に出場し、打率.265、18本塁打、56打点。山本浩二氏、衣笠祥雄氏とともにクリーンア…
1日2000スイングも「簡単だろ」 2軍で鳴かず飛ばずも即2冠王…人生変えた鬼コーチ|球界群像 長内孝#5
恩師との出会いが流れを変えた。元広島の強打者・長内孝氏にとってプロ2年目(1977年)のオフは大きな転機だった。広島1軍コーチだった山本一義氏が2軍打撃コーチに就任したこと…
「えらいところに来た」 高卒1年目でクビ覚悟…自信を喪失した山本浩二の“一言”|球界群像 長内孝#4
プロ1年目に最悪の事態を覚悟した。元広島の強打者で、野球評論家、「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナーでもある長内孝氏は1975年ドラフ…
「守っていてもやばいと」 病とも戦った3年夏…甲子園への道阻んだ原辰徳の存在|球界群像 長内孝#3
甲子園は1学年下のスター選手が主力の学校に阻まれた。元広島の強打者で「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナー・長内孝氏は桐蔭学園時代、1年…
名門校からの誘いも“全て”拒否 野球を辞めるつもりが一転…知らなかった「特待生制度」|球界群像 長内孝#2
元広島の強打者で「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に2店舗)のオーナーである長内孝氏は、神奈川・相模丘中学時代、エースで4番だった。地元では知られた存在…
広島の2大スターと形成した強力トリオ 3番打者が至った境地「僕が失敗しても…」|球界群像 長内孝#1
かつて、ミスター赤ヘル・山本浩二外野手、鉄人・衣笠祥雄内野手と広島のクリーンアップを形成したのが長内孝氏だ。現在は「本格派 炭焼やきとり処 カープ鳥 おさない」(広島市に…
「ごめんって顔をしている」 “内角攻め”で生きた右腕が指摘する現代野球の物足りなさ|球界群像 鹿島忠#15
感動がよみがえった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は2015年4月から母校・鹿児島実の臨時コーチを務めている。甲子園を夏3度(2015、2018、2022年)、春1度(2…
参入問題の渦中に告げられた「ウチに決まりなんで」 “既定路線”で決まった楽天コーチ|球界群像 鹿島忠#14
あの名将の野球に触れることができた。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は2005年、誕生したばかりの楽天で2軍投手コーチを務めた。野村克也氏が監督に就任した翌2006年は1軍…
「来年はまた1軍で」の約束も “落合体制”への移行で水の泡…弾き出されたコーチ|球界群像 鹿島忠#13
コーチ業の難しさを知った。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は2001年から2003年まで中日投手コーチを務めた。1年目は1軍ブルペン、2年目は1軍のメイン、3年目は2軍サブ…
「いらねぇって言われた気分」 引き際を意識した無情な一撃…“演技”続けた男の終焉|球界群像 鹿島忠#12
最後は敵地・東京ドームでの巨人戦だった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏はプロ14年目の1996年シーズン限りで現役を引退した。恩師である星野仙一監督の第2期政権の1年目だ…
監督から「やめろ」 マウンドで“くちゃくちゃ”に抗議殺到…取り上げられた役作り|球界群像 鹿島忠#11
元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏はプロ5年目の1987年シーズン途中にリリーフに完全転向したが、そこから1996年の引退までにたった1度だけ先発したことがある。阪神が亀山努…
抑えたのに激怒され“内角攻め” 吠える助っ人…「指令」から始まった歴史的大乱闘|球界群像 鹿島忠#10
異様なムードでの試合だった。もはや野球ではなかったといってもいいのかもしれない。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は1990年5月24日の巨人戦(ナゴヤ球場)で巨人・ウォーレ…
ケンカ上等のハードな内角攻めに“待った” 「俺がやられる」…主砲から漏れた本音|球界群像 鹿島忠#9
“威嚇球”が通用しなかった。野球評論家の鹿島忠氏は、現役時代、厳しい内角攻めでも知られた中日の中継ぎ右腕だったが、どうにも相性が悪い選手もいた。阪神・岡田彰布内野手(現阪神…
球団フロントを一喝「給料を上げてやれ」 日陰の扱いが今や…闘将が変えた“救援”の評価|球界群像 鹿島忠#8
昔は中継ぎ投手の立場は決して良くなかった。中継ぎに回ると「降格」と言われるなど、先発、抑えよりも明らかに格下という感じだった。野球評論家の鹿島忠氏は元中日の中継ぎエース。だ…
怒りが生んだ“ケンカ投法” まさかの打撃投手指令で覚醒「ボールが行きだした」|球界群像 鹿島忠#7
野球評論家の鹿島忠氏は現役時代、中日の中継ぎ陣のエース格だった。当初は先発ローテーション投手としての活躍が期待されていたが、星野仙一氏が監督に就任したプロ5年目の1987年…
「後から活躍しやがって」 元指揮官もボヤいた恩返し…“冷遇”跳ねのけた完封劇|球界群像 鹿島忠#6
あの送球がなかったら……。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は、プロ4年目の1986年8月28日の大洋戦(横浜)でプロ初完投、初完封勝利をマークした。被安打6、奪三振8の見事…
即戦力ドラ1のはずが…打撃投手で過ごす日々 登板ゼロの1年目「嫌われていたのかな」|球界群像 鹿島忠#5
屈辱のルーキーイヤーだった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏はドラフト1位で中日入りした。社会人野球・鹿児島鉄道管理局から加入。即戦力右腕のはずが、1年目の1983年は1軍…
まさかのドラ1指名で「20番をください」 知らなかった“エース番号”…困惑のフロント|球界群像 鹿島忠#4
都市対抗も日本選手権にも出場できなかった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は鹿児島実から社会人野球・鹿児島鉄道管理局に進んだが、全国大会の舞台は無縁だった。プロに注目はされ…
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