
新人の“自己満足”で先輩が大目玉 春季キャンプで折られた鼻…後の1億円選手が忘れぬ恩
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新人の“自己満足”で先輩が大目玉 春季キャンプで折られた鼻…後の1億円選手が忘れぬ恩
プロ引退→アルバイトから始めた“第2の人生” 目指した寿司屋、元近鉄右腕の異色の転身
近鉄で9年間プレーし、米独立、イタリアと渡り歩いた品田操士氏だが、引退後は野球界から一線を引いた。「イタリアの球団を退団する時に、野球そのものをやめよう、もうやり切った、と…
戦力外→海外移籍で再発見「やっぱり日本が一番いい」 気づかなかった“和の心”
元近鉄の品田操士氏は2002年、外国人枠が限られているイタリアでシーズン最後までプレーした。イタリアは人気の観光地が多く、食事も日本人好みと言われるが、「日本人のオレたちが…
代表選出のために「イタリア人と結婚すれば」 思いもよらぬ提案…異国で衝撃的な“オファー”
元近鉄の品田操士氏は2001年、米独立リーグで2桁勝利を記録するなど活躍し、翌年も現役続行を希望した。新天地はイタリアに決定。「台湾とかアメリカの独立リーグとか、いくつか話…
戦力外→テロ遭遇の緊急事態「映画の撮影かと」 残された選択肢、米国での壮絶体験
2000年オフに近鉄から戦力外通告を受けた品田操士氏は2001年春、米国でカブスのキャンプに参加することになった。同キャンプには、かつてのチームメートだった佐野慈紀氏や谷口…
初登板で15失点「全然抑えられねぇ」 想定外の指令…18歳で受けた“プロの洗礼”
近鉄から米国、イタリアと渡り歩いた品田操士氏は埼玉・花咲徳栄高時代から豪快な性格だった。1991年にドラフト3位で近鉄に入団。ただ、プロに入ると他の選手と同じく、レベルの高…
阪神からパ移籍も「野球どころじゃない」 まさかの消滅危機に…今も続く“儀式”を発案
2003年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した横手投げ右腕の川尻哲郎氏だが、そこで待っていたのは近鉄とオリックスの合併だった。2004年のシーズン中に事態が表面化。セ・リー…
滑り止めで入学「オレ、失敗したな」 かかと踏んでドブ掃除…厳しかった“後の名門”
NPB、米独立、イタリアの3か国でプレーした品田操士(しなだ・あやひと)氏は、埼玉・花咲徳栄高からドラフト3位で近鉄入りした。今でこそ野球の名門校だが、当時はまだ甲子園未出…
ヤクルトに「アホか、誰が行くか!」 新聞で知ったトレード…頭に来た球団取締役の一言
近鉄球団に大激怒した。伊勢孝夫氏(野球評論家)はプロ14年目の1976年オフ、益川満育内野手との交換トレードで近鉄からヤクルトに移籍した。「出されるとは思ってもいなかった」…
主砲の故障で…恥ずかしかった珍代走 癪に触った敵捕手の“皮肉”「腹が立った」
野球評論家の伊勢孝夫氏は、近鉄での現役時代にホームラン代走&決勝弾を記録した。プロ7年目の1969年5月18日の阪急戦(西宮)での出来事だ。助っ人のジムタイル(ジム・ジェン…
500球の投げ込み「嫌だった」 1年目から“酷使”…悲鳴を上げた右肘「これでもう終わり」
ジャンボに浴びた一発が転機になった。伊勢孝夫氏(野球評論家)は1963年に三田高(現・三田学園)から投手として近鉄に入団した。だが、1年目のキャンプで右肘を痛めるなど、怪我…
初1軍で「大エース」に連れて行かれた銀座 「パワー」になった偉大な先輩の言葉
偉大な先輩の存在がありがたかった。近鉄の大エースで通算317勝をあげた鈴木啓示氏と主力打者だった佐々木恭介氏。元オリックス監督で1978年ドラフト2位で近鉄に入団した森脇浩…
球史で最も無情な時間 「なぜ守らないと…」“10・19”の裏にあった猛者たちの涙
1988年10月19日。川崎球場で行われたロッテと近鉄のダブルヘッダーは今でも“伝説の試合”として語り継がれている。シーズン最終戦、近鉄が優勝するためには引き分けも許されな…
「This is プロ野球!!」 伝説の“10・19”で生まれた名言、語り継ぐ近鉄戦士の本音
2022年のパ・リーグは、オリックスが大逆転劇で連覇を達成した。10月2日のリーグ最終日、マジック「1」のソフトバンクがロッテに敗れ、わずかな可能性を残していたオリックスが…
「日本にはいなかったタイプ」 4打数連発のブライアント氏が村上宗隆に感じた“縁”
7月31日の阪神戦(甲子園)から8月2日の中日戦(神宮)にかけてプロ野球新記録の5打席連続本塁打を達成し、17日現在で本塁打王争い独走の今季42本塁打を量産しているヤクルト…
メジャー通算4発→本塁打王に NPBで無双した“赤鬼”が語る日本野球のレベル
世界一競争が激しいとされるメジャーリーグで低迷した選手が、日本で“助っ人”として才能を開花させるサクセスストーリー。その好例として挙がるのが、ヤクルトと近鉄でプレーし“赤鬼…
“赤鬼”は日本でなぜ大爆発? 通算打率3割超え、189発の打棒を生んだ怪我の功名
1970年代から80年代にかけてヤクルト、近鉄でプレーし、通算189本塁打をマークしたチャーリー・マニエル氏。桁外れなパワーに加え、興奮した顔が真っ赤になることから「赤鬼」…
「日本の練習が好きだった」 NPBで覚醒の赤鬼、引退後に得た指導者としての成功
ヤクルトと近鉄でプレーしたチャーリー・マニエル氏は、NPB通算189本塁打を記録するなど“赤鬼”の異名をとった偉大な助っ人だ。通算4本塁打だったメジャー時代とは対照的な打撃…
中日元投手コーチが感じた大野雄大の成長 五輪ブルペン待機の経験で若手も“進化”
2000年を最後に14年の現役生活に幕を下ろし、その後は指導者、解説者としてのキャリアを歩む阿波野秀幸氏。指導者としては、巨人で通算12シーズン、横浜で1シーズン、中日で3…
“新人特別賞”を生んだライバル物語 ドラ1の両投手を引き寄せた「運命」
昨年のセ・リーグは新人選手の当たり年だった。記者投票の末、最終的には広島の栗林良吏投手が最優秀新人に選ばれたが、同等の成績を残したと見なされる選手に与えられる新人特別賞には…
日本で覚醒した“赤鬼”の野球人生 わずか4本塁打のMLB時代とは「正反対だった」
かつてヤクルト、近鉄でプレーし、引退後は監督としてフィリーズで歴代最多の780勝を挙げた“赤鬼”ことチャーリー・マニエル氏。米スポーツ専門誌「スポーツ・イラストレイテッド」…
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