急遽変わった中日ドラ1…批判の声に「見とけ」 法元英明氏が忘れられぬ剛球「キュンと伸びる」
鈴木孝政 ニュース・速報
鈴木孝政に関する野球ニュース・速報・コラムやインタビューの記事一覧。Full-Count(フルカウント)は野球専門の総合メディアです。
突然の“首脳陣一掃”で戻ってきた落合博満 監督就任は幻に…低迷する中日への思い
元中日投手で野球評論家の鈴木孝政氏は2015年11月29日に中日のOB会長に就任した。ドラゴンズ一筋の野球人生。かつての快速球投手は立浪和義監督の成功を心から願う。「立浪監…
「俺、いらないのかな」落合竜を1年で去ったワケ 「入院しろ」拒否して見せた“意地”
予想通りの入閣だった。指揮官を手助けするためにユニホームを着たが……。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は1989年シーズン限りで現役を引退した。解説業を経て1995年か…
「年齢違反じゃないのか」 辛辣ヤジも…腐らず全うした“34歳の2軍開幕投手”
中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏はプロ17年目の1989年シーズン限りで現役を引退した。「バッターはごまかせてもボールはごまかせない」。10月7日の引退発表会見ではそう…
「どうするんや、来年」 日本S帯同も“蚊帳の外”…闘将の一言で察した戦力外
現役生活の晩年はどうしても悔しい思い出の方が多くなる。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏はプロ16年目の1988年、屈辱的な気分を味わった。その年、星野仙一監督率いる中日…
快投中の“強制降板”にブチ切れ「何で」 後輩の“踏み台”に…屈辱だった同情の賞金
交代指令に大憤慨した。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は現役時代にそんな経験がある。決定権は指揮官にあるとわかっていながらも、その時ばかりは納得できなかったという。プ…
勝利投手の賞金を超えた罰金 前代未聞の珍プレー…闘将が激怒した“とぼとぼ走り”
1987年シーズンから中日監督にOBの星野仙一氏が就任した。ナインへの「覚悟しとけ!」のメッセージで始まった星野体制は、元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にも思い出深い…
“決めごと”ばかりの生活も「女房を楽に」 神懸かりな1年を支えた妻の献身
名古屋で勝ちまくった。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は、1984年シーズンに16勝をマークしたが、そのうち12勝が本拠地・ナゴヤ球場でのものだった。「最初は勝てなくて…
マスコミが「誰ひとり、信用しない」 思わずポロリも…予想外だった投手の“告白”
プロ野球で怪我や病気、長期間の不調から返り咲いて活躍した選手に授与されるのがカムバック賞だ。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は1984年に受賞した。28試合に登板して…
屋台で飲み、就寝直前に「明日行くぞ」 連投お構いなし…呆然とした“予期せぬ通告”
1982年、中日はセ・リーグを制覇し、日本シリーズでは広岡達朗監督率いる西武と激突した。その年のシーズン途中から、元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は先発に転向したが、…
悲劇からの変身に中畑清が文句「抜いたなぁ!」 たった88球の完封呼んだ“粘着質”の助言
プロ10年目で“進化”した。「これがピッチングと思ったね」。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は、本格的な先発転向後の1982年7月1日の巨人戦(ナゴヤ球場)でプロ初完…
“抑え失格”の烙印押された逆転満塁弾 正念場で下された仰天指令「勇気がいったよ」
野球人生のターニングポイントだった。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にとって大きな試合になったのがプロ10年目、1982年5月23日の大洋戦(宮城)だ。屈辱の逆転サヨ…
痛み止め多用で壊れた体「もう無理」 右肘酷使で登板も…失った首脳陣の信頼
令和の今では考えられないペースで投げまくっていた。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏はプロ5年目の1977年、先発、リリーフ兼任で18勝9敗9セーブの成績を残した。最優秀…
「お前が取ったらいかん」 タイトル獲得も…まさかのクレームに謝罪「その通りです」
巨人、阪神のエースとして活躍した小林繁氏に、中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏は頭を下げたことがある。プロ4年目の1976年は60試合に登板し、7勝8敗26セーブで防御率…
無人のマウンド「行く気力なかった」 温和な指揮官が激変…「泣きべそかいた」続投劇
中日の快速球投手・鈴木孝政氏(現中日OB会長)の名前が一層とどろいたのが1975年の3年目シーズンだ。シーズン序盤に抑えに回って、67登板で9勝8敗21セーブ。チームは2位…
ファン殺到で「腫れあがっちゃった」 国民的イベントの裏で…日本一逃した“悲劇”
1974年シーズン、与那嶺要監督率いる中日は20年ぶり2度目の優勝を成し遂げ、巨人のV10を阻止した。応援歌「燃えよドラゴンズ!」も大ヒットした。しかし、日本シリーズは金田…
全国中継でマウンドへなぜか猛ダッシュ 目立ちまくったプロ初勝利…闘将との深い“縁”
150キロを超える快速球で知られた元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)のプロ初勝利は1974年8月7日の巨人戦(中日球場)だった。1-3の6回から2番手で登板して3イニン…
パンツ一丁の“憧れの人”に大胆行動 「初めて胸毛を見た」押し掛けた巨人ロッカー
子どもの頃から大の長嶋ファン。憧れの人とプロで対戦した時はまさに夢心地だった。現役時代は抑えでも先発でも活躍した元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)にとって、長嶋茂雄氏(…
目覚めるのが「怖かった」 実家で号泣「行きたくない」…ドラ1右腕が味わった挫折
プロでの“地獄”を味わった。元中日投手で現OB会長の鈴木孝政氏は1973年、高卒ルーキーで開幕1軍切符をつかんだ。「高卒の投手で開幕1軍に入ったのは中日では俺から1人も出て…
進学予定から“心変わり”も…「なんだろう、この人」 予期せぬエースの英才教育
1973年。プロ1年目の浜松キャンプではエース・星野仙一投手から練習パートナーに指名された。中日OB会長で野球評論家の鈴木孝政氏の現役生活は実質、そこから始まった。「ちょっ…
「飲みながらだもん」入団拒否を覆した“宴席交渉” まさかの来襲に「返事しちゃった」
1972年11月21日、東京・日比谷日生会館で行われたプロ野球ドラフト会議で成東高の右腕・鈴木孝政投手は全体2番目で中日にドラフト1位指名された。当時は入札制ではなく、1球…
KEYWORD