新人王翌年の“ジンクス”…陥った悪循環 生かせなかった先輩の金言「全部駄目に」|球界群像 熊野輝光#16
うまくいかなかった。元阪急外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)はプロ2年目の1986年、打率、本塁打、打点、盗塁のいずれも、新人王を獲得した1年目より…
新人王翌年の“ジンクス”…陥った悪循環 生かせなかった先輩の金言「全部駄目に」|球界群像 熊野輝光#16
うまくいかなかった。元阪急外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)はプロ2年目の1986年、打率、本塁打、打点、盗塁のいずれも、新人王を獲得した1年目より…
新人王でも上がらぬ年俸「酷かった」 告げられた理由に不満爆発「ちょっと待って」|球界群像 熊野輝光#15
厳しい“金銭闘争”だった。元阪急外野手の熊野輝光外野手(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は、1985年のプロ1年目に118試合に出場。打率.295、14本塁打、60打…
新人に指揮官激怒「勉強しとけ!」 スタメン外も…代走から「3、3、3」の離れ業|球界群像 熊野輝光#14
元阪急外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)はプロ1年目の1985年から活躍し、同年のパ・リーグ新人王に輝いた。しかし、開幕直後は不振に陥り、上田利治監…
「もうどっか悪いんか」と凄まれ…遠のいたトレーナー室、27歳新人は新幹線通いで治療|球界群像 熊野輝光#13
社会人野球・日本楽器(現ヤマハ)から1984年ドラフト3位で阪急入りした熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は、当時27歳のオールドルーキー。1年目から勝負と…
大反対の妻と義実家に「駄目なら何でもする」 入団拒否から決意…腹括った“3年間”|球界群像 熊野輝光#12
1984年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した野球日本代表の主将を務めた日本楽器(現ヤマハ)・熊野輝光外野手(現・四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は、同年11月20日…
“諦めの日本代表”に指揮官ブチギレ スター揃いの米国に恐々「勝つのは無理やで」|球界群像 熊野輝光#11
1984年のロサンゼルス五輪で野球日本代表は金メダルを獲得した。元阪急・オリックス、巨人外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は当時の主将。チームを引っ…
五輪で酷い扱い「邪魔をしないように」 “お偉いさん”の一言に奮起…掴んだ金メダル|球界群像 熊野輝光#10
元阪急の新人王外野手・熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は1984年のロサンゼルス五輪金メダリストでもある。社会人野球・日本楽器(現ヤマハ)時代に社会人と大…
日本代表選出直後に絶望「力入らない」 腕上がらず全欠場…カナダで待っていた“悪夢”|球界群像 熊野輝光#8
1985年のパ・リーグ新人王に輝いた元阪急外野手の熊野輝光氏(四国IR・香川オリーブガイナーズ監督)は中大から日本楽器(現ヤマハ)に進んだ。社会人1年目(1980年)から三…
指名拒否で「二度とプロはないと思え」 激怒した監督…“引き金”は強引勧誘「嫌だな」|球界群像 熊野輝光#7
外野手として阪急などで活躍した熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は中大4年の1979年のドラフト会議でヤクルトから3位指名を受けた。プロ入りか、社会人入りか…
「別格」だった阪神主砲に衝撃 日本代表の主将も…スターに圧倒された“重圧”|球界群像 熊野輝光#6
思い出深いシーズンになった。四国IL・香川オリーブガイナーズ監督の熊野輝光氏(元阪急・オリックス、巨人外野手)は中大4年の1979年に多くのことを経験した。主将として春の東…
父親のプロ入り拒否で“無関係のドラフト” 大学進学で…傍目に見たライバルの1位指名|球界群像 熊野輝光#5
阪急などで俊足、強肩、強打の外野手として活躍し、1985年にパ・リーグ新人王に輝いた熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は志度商から中大に進学。1976年の大…
父が勝手に“プロ行き拒否”「息子は進学します」 引退視野も、突然決まった中大行き|球界群像 熊野輝光#4
知らないうちに大学進学希望になっていた。現役では新人王に輝き、スカウトとして多くの選手を発掘した熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は1975年の志度商3年に…
往復2時間の通学→深夜に人知れず“痛めつけ” 元新人王を変えた屈辱「責任を感じた」|球界群像 熊野輝光#3
一気にパワーアップした。1985年のパ・リーグ新人王で元阪急・オリックス、巨人外野手の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は、1974年の香川・志度商2年秋か…
“勧誘”されたのに…まさかの不合格で「野球やめようかな」 元新人王、初めての挫折|球界群像 熊野輝光#2
元阪急外野手で1985年パ・リーグ新人王の熊野輝光氏(四国IL・香川オリーブガイナーズ監督)は1973年、香川・三木町立三木中学から、香川県立志度商(現・志度高)に進学した…
五輪金メダル、新人王獲得も…後悔募る自らのキャリア 誤った決断、好打者の“末路”|球界群像 熊野輝光#1
高校時代に甲子園出場を果たし、大学では全日本大学選手権優勝、日米大学選手権出場などを経験。社会人時代には五輪で金メダルを獲得し、プロ野球では新人王、スカウトとしても辣腕を発…
“紆余曲折”元阪神エースの今 バー経営→指導者へ、外から眺める甲子園|球界群像 川尻哲郎#22
元阪神エースの川尻哲郎氏は現在、東京・新橋のスポーツバー「TIGER STADIUM」店主としても“活躍中”だ。2005年に楽天でプロ選手生活にピリオドを打った後は、楽天ジ…
覚悟していた戦力外…ラスト登板で「ボコボコにやられた」 すんなり受け入れた現役引退|球界群像 川尻哲郎#21
阪神など3球団でプレーし、通算60勝を挙げた川尻哲郎氏は2005年に楽天で現役を引退した。プロ生活は11年目で幕を閉じた。ラストシーズンは沖縄・久米島キャンプでの右足肉離れ…
阪神からパ移籍も「野球どころじゃない」 まさかの消滅危機に…今も続く“儀式”を発案|球界群像 川尻哲郎#20
2003年オフに阪神から近鉄にトレード移籍した横手投げ右腕の川尻哲郎氏だが、そこで待っていたのは近鉄とオリックスの合併だった。2004年のシーズン中に事態が表面化。セ・リー…
“許せなかった”阪神からの戦力外 ビールかけも固辞…直後に決まったパ・リーグ移籍|球界群像 川尻哲郎#19
1990年代の阪神の低迷期を支えたサイドスロー右腕・川尻哲郎氏はプロ9年目、奇しくも阪神がリーグ優勝した2003年オフに近鉄に移籍した。左腕・前川勝彦投手との1対1の交換ト…
阪神からの扱いに不満「俺もういらないですよね」 1勝6敗も…メジャー移籍直訴で騒動|球界群像 川尻哲郎#18
復活したが、また……。阪神などで活躍した右腕・川尻哲郎氏は1年置きに成績が変わる傾向にあった。プロ4年目の1998年にノーヒットノーランを達成するなど10勝をマークしたが、…
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