勝手に“借金肩代わり”…決まっていた社会人行き「バカ野郎!」 捨てた1800万円「もういいです」|球界群像 米村明#12
進路に“米代”が影響した……。元中日左腕の米村明氏はPL学園から中央大に進み、1982年からは社会人野球・河合楽器の一員となった。大学時代は2年(1979年)春の東都リーグ…
勝手に“借金肩代わり”…決まっていた社会人行き「バカ野郎!」 捨てた1800万円「もういいです」|球界群像 米村明#12
進路に“米代”が影響した……。元中日左腕の米村明氏はPL学園から中央大に進み、1982年からは社会人野球・河合楽器の一員となった。大学時代は2年(1979年)春の東都リーグ…
リーグ戦Vも離脱…監督から「何やったんだ!」 “12時間”の酒宴が招いた異変「弱っていた」|球界群像 米村明#11
大学でも山あり、谷ありだった。元中日左腕の米村明氏は1978年に中央大に進学し、1年生から投手として頭角を現した。1979年の2年春には2年先輩の香坂英典投手(元巨人)とと…
「殴られない」で選んだ進路 プロ&監督の母校を“拒否”…PLエースの複雑な心境|球界群像 米村明#10
選択の決め手はグラウンド外の……。元中日左腕の米村明氏は1978年、PL学園から中央大学に進学した。高校2年夏に2番手投手兼外野手として甲子園を経験し、3年時は聖地にたどり…
「やめます。投げません」PL学園で起こっていた衝突 全力投球怠り終戦…エースの後悔「もう時効」|球界群像 米村明#9
あの時は本当に……。元中日投手の米村明氏は49年前のPL学園時代を振り返りながら「僕はとんでもない高校野球選手でした」と反省の言葉を口にした。1977年、高校3年夏の大阪大…
PL学園監督から鉄拳制裁「前に出て来い」 “ブチギレ”たエース「ピッチャーやめます」|球界群像 米村明#8
高校ラストイヤーは、まさかの……。元中日左腕の米村明氏は1977年、PL学園3年時に甲子園へ行けなかった。1976年の2年秋は大阪大会準決勝で大鉄(現・阪南大高)に負けて選…
3年生の直訴に「明日負けるぞ」 最後の夏で監督が“予言”…初の甲子園でもなかった感動|球界群像 米村明#7
1976年夏の第58回全国高等学校野球選手権大会で、PL学園(大阪)は決勝に進出した。桜美林(西東京)に延長11回3-4のサヨナラ負けを喫して涙をのんだものの、準優勝の結果…
PLの先輩に激怒「お前、いま何やった」 理不尽だった上下関係…名門を変えた“ブチギレ”|球界群像 米村明#6
中日で先発としても、リリーフとしても活躍した左腕の米村明氏は1976年のPL学園2年夏に甲子園出場を果たした。1年の時は外野手だったが、2年からは2番手投手兼外野手。監督の…
元中日左腕、2万円が招いた地獄「悲惨でした」 監督に退学宣言も…断てなかった“関係”|球界群像 米村明#5
元中日左腕で敏腕スカウトとしても名を馳せた米村明氏はPL学園OBだ。1975年に熊本・八代市立第一中を卒業後に入学し、早々に野手として結果を残して、1年生でメンバー入りを果…
PL学園で待っていた“地獄”「メンバーから外して下さい」 先輩からまさかの指令…監督に直訴のワケ|球界群像 米村明#4
元中日左腕の米村明氏は熊本・八代市立第一中学から、大阪・PL学園に“野球留学”した。「3番・投手」だった中学時代は投打ともに注目された逸材で、PLでは1975年の1年夏から…
名門・熊本工に“内定”も…父の翻意で大阪行き 決め手は突如訪れた大物「息子と甲子園を」|球界群像 米村明#3
自宅に超大物が……。元中日左腕の米村明氏は1975年、PL学園に進学した。当初は地元の名門・熊本工に行く方向で話が進んでいたのを、切り替えてのことだった。決め手は「親父と2…
PL学園から勧誘も「何の学校?」 “強制投手指令”で急成長…伝説スカウトも見誤った学年|球界群像 米村明#2
1984年ロサンゼルス五輪金メダリストで、元中日左腕の米村明氏は熊本・八代市立第一中学で嫌々、投手になった。「ピッチャーは練習がしんどいし、監督から『ピッチャーをやりたいヤ…
元中日左腕を襲った”理不尽”な試練 野球継続に…兄が突きつけた条件「敬語を使え」|球界群像 米村明#1
1988年の星野中日セ・リーグ制覇に貢献した左腕で、引退後は敏腕スカウトとしても知られたのが米村明氏だ。PL学園、中央大を経て、社会人野球・河合楽器時代には1984年ロサン…
“名門”廃部に「寂しい思いがある」 新人王ら輩出も…長き指導者人生、明かした最後の夢|球界群像 西田真二#27
豪快に笑いながら、でっかい夢を口にした。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家)は2007年から2019年まで四国アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズ監督を務めて5度のリ…
四国からNPBへ…名選手を輩出できるワケ 実感する独立Lの難しさ、元広島4番が語る魅力|球界群像 西田真二#26
NPBに20人以上の選手を送り込んだ。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家)は2007年シーズンから四国アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズ監督を務めた。いきなり前期、…
ドラ6から名球会入り…“想定外”だった覚醒 2軍落ちに猛反対、コーチの決死の思い|球界群像 西田真二#25
元広島4番打者の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は1999年シーズンからの広島・達川光男監督体制で1軍打撃コーチとして入閣した。1995年限りで…
「思いつき」でトレード打診→「もういいです」 合意目前で辞退…幻に終わった鷹移籍|球界群像 西田真二#24
決断せざるを得なかった。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は1995年シーズン限りで現役を引退した。法大から1982年ドラフト1位で…
全力疾走で左足が“プチーッ” 神宮から救急車で搬送…34歳で覚悟した2文字「俺も終わった」|球界群像 西田真二#23
救急車で運ばれた。広島で4番打者も務めた西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)にとって、プロ12年目の1994年5月8日のヤクルト戦(神宮)は「最悪の…
2軍降格なのに「楽しかった」 元広島4番の“後悔”…また戻った代打稼業「それも人生」|球界群像 西田真二#22
晩年は怪我に泣かされた。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は代打の切り札としての活躍を経て、赤ヘルの4番打者も務めたが、プロ11年目…
開幕4番も…失い始めた居場所 “押し付けられた”大役、通じなかった「嫌だ」|球界群像 西田真二#21
“流れ”が下降線に……。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)はプロ10年目の1992年を開幕4番スタメンからスタートさせた。チームの選…
首脳陣の打診も拒否「僕はいいです」 自ら捨てた勲章…悔やんだ“決断”「自業自得」|球界群像 西田真二#20
一時は首位打者候補と騒がれたが……。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は、1991年のリーグ優勝に4番打者として貢献した。この年の4…
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